2月のメッセージ

2010年2月1日

南房教会 牧師 原田史郎

 

「神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。」テトスへの手紙3章5節(国語訳)

 

 2月は、古来、日本では「きさらぎ」と呼んできました。「如月」とか「衣更着」とも書きますが、これは着物を重ね着することではなく、「生更ぎ」のことで、草木が更生する意味があるといわれます。

 

 私は今、月に一度、館山から新潟の教会に礼拝説教と長老会(役員会)のために通っています。すぐに後任者が決まらなかったため、代務をつとめているのです。来月でこのお役目も終わるのですが、嬉しいことにこの2月、二人の方に洗礼を授けます。お一人は、市内のキリスト教学校の若い教師で、もうお一人は、教会付属幼稚園年少組の保護者のお母さんです。

 この婦人と洗礼の打ち合わせをして「わたしは3月までしか、この教会に来ませんので、4月以降新しい牧師が着任してから受洗されては如何ですか」とお勧めしました。すると、この方は「関係ないかと思われるかも知れませんが、わたしは2月生まれなのです。そして、この子も(と言われて胸に抱いている4か月の赤ちゃんを少しあげて)2月生まれなのです。また、今、幼稚園にいる長男も2月生まれなのです。それに、夫も2月生まれなのです。神さまが2月、わたしたちにこんなに素晴らしい巡り合わせをくださったので、どうしても2月に洗礼を受けたいのです。」

 ここまでお聞きして、思わずひざを打ってわたしはこう応答しました。「本当に2月は素晴らしい月ですね。実は、わたしも2月22日生まれなのです。」

 

 他愛のない話しかも知れませんが、神さまは、なぜかある人たちを、閏(うるう)年があったり、一番日数の少なくて寒い2月に生まれさせたもうのです。でも2月は草木が更生する意味の「きさらぎ」です。テトス書では、洗礼を「再生の洗い」と表現しています。この「再生」(パリンゲネッシア)という言葉は、「神によって一新された新しい世界」(マタイ19:28)に使われていて、テトス書でも「霊的な新生、刷新」を意味します。

 2月生まれも、信仰の目から見ると、こんなに深い恵みと意味があるのだと思うと、感謝です。(エッ、では他の月生まれは、どうなのかと仰るのですか。それはまた、次の機会に。)

 平安

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