3月のメッセージ

2010年3月2日

南房教会 牧師 原田史郎

 

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に」

コヘレトの言葉12章1節(口語訳)

 

 先月の中旬、ひさしぶりに松江に行ってきました。ひさしぶり、と言っても40年ぶりになります。今回は、松江婦人矯風会の池田一美さんが中心になって招いて下さったもので、「先生にお会いしたい人たちがいますので、是非お出で下さい。リラックスした集まりにしますので」とのことでした。リラックスした集まりとはいえ、講演がある以上、雑談をするというわけには行きませんので、打ち合わせて、「輝いて老いを生きる」―老いを楽しく―という主題でお話をしました。とても和やかで、メンバーの方たちの祈りが感じられる良い集まりでした。

 その後、40年ぶりの方々にお会いしました。私が在任した1966年(昭和41年)から5年間、当時青年だったメンバーが松江東教会に集まって、交歓の時を持ちました。その当時の集合写真が拡大されて何枚か用意されていましたが、当たり前のことですが、みんな若いのです。わたしたちも若くて、当時28歳でしたが、これが自分たちかと見紛う(みまごう)ばかりの若さで、改めて年月の移り変わりを知ったことでした。

 40年を経て、今、心から思うことは、信仰をもって良かった、ということです。再会した人々、それぞれに喜びあり悲しみあり、また浮き沈みもありましたが、振り返って主の導きと守りに、深い感謝の念を持っていることが印象的でした。

 

 「コヘレト」というのは、「集会を招集するもの」「伝道者」と言う意味で、1955年の口語訳聖書では「伝道の書」と呼んでいました。以前は、ソロモン王が書いたとされましたが、今日では、ギリシャ時代以降に書かれたと考えられています。

 著者は、人生の深い経験から、わたしたちの一生が虚(空)しくなることのない道、生き方を求めて苦しみ悩みます。「なんという空しさ,すべては空しい。太陽の下、人は労苦するがすべての労苦も何になろう。」(1:1,2)この空漠たる空しさから、ついにコヘレトは、表記の真理に到達したのでした。

 新共同訳では「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」と訳しています。青春まっただ中にあるあなたに、心からこの言葉を贈ります。 

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