5月のメッセージ

2010年5月3日

南房教会 牧師 原田史郎

 

時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。 エフェソ信徒への手紙5章16節

 

 「月日は百代の過客にして」という「奥の細道」の芭蕉の言葉ではないのですが、本当に月日の経つのが早いのには驚きます。あっと言う間に日曜日が来ますし、3か月先に入れておいた予定が、気が付いてみれば、もう今週、といったことは日常的なことです。

 この感覚は、なにも昨日今日始まったことではなく、かなり以前から感じていたことです。以前、幼稚園の子どもが、「忙しい」と言っているのを耳にして聞いてみると、習い事や教室がいっぱいで、人ごとながら大変な時代だと思ったことでした。因みに、スイミングスクール(水泳教室)は、今の子どもにとって必修とでもいうコースになっています。スクールバスに乗るにせよ、親の送迎にせよ、何時から何時までという時間表に従わなければなりません。そのために、その前の遊びや自由時間はそこに合わせて切り上げます。

良く言えば時間管理が出来、現代の時間との競争、特にスピードが求められている時代に、小さい時から適合されて、育てられるわけです。

 わたしは小さい時、海辺の町に住んでいましたが、夏、学校が終わると鞄を放り投げて、

近所の友達と海に行きました。そして、唇が青くなるまで、夏とはいえ冷えてくる夕方まで泳いだものでした。さすがに寒い、と言った時が切り上げ時で、それまで時間を忘れて遊びました。

 しかし、この時間を忘れて遊び、楽しい感動で心がいっぱい満たされたとき、哲学的な意識ではありませんが、「ああ、生きてるってことはいいものだ。」(横浜弁)という思いを体全体で感じたことでした。こういう時間を超える時が一度あって、そこから与えられた自分の時間をとらえ直し、計画し、使うということになるのだと思います。ですから、時間の経つ早さは、脳のニュートロンが日々十万個ずつ消滅していくからだという大脳生理学の理論もあるかもしれませんが、いつしか時間に縛られて生きているわたし自身の生き方を映しているのではないかと反省させられます。

 

 使徒パウロは「時をよく用いなさい。」と言います。この「時」という言葉は、聖書の原文のギリシャ語では「カイロス」という言葉です。それは、もうひとつの時を示す「クロノス」という言葉の様に、単に物理的に時を刻むのとは違い、「好機」「機会」「ちょうどよいその時」と言う意味をもっています。少し解釈を入れて意訳すれば「神さまがあなたに与えて下さったあなたの時を,十分に生かして用いなさい。」と読むことが出来ます。

 また、「用いなさい」(エクサゴラゾー)の原意は「贖(あが)なう」ですから、犠牲を払ってでも与えられた好機を生かしなさい、と言う勧めになっています。次節は「無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」と続きます。

 

もどる