6月のメッセージ

2011年6月5日

南房教会 牧師 原田 史郎

「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」(マタイによる福音書7章7節)

 

 2011年は、3・11という日と共にいつまでも覚えられる年になると思います。千年に一度という自然の災害は、戦後、あるいはそれよりもっと前から続いてきた日本人の考え方や生き方を転換させるものとなりました。そのひとつを挙げれば、今まで使い放題の電気があります。福島の原発災害や静岡の原発停止によって、30パーセントともいえる電力の供給力の不足が起こりました。このため、「省エネ」「エコ」といった言葉に代表されるように、わたしたちは、節約しながら、それに合った生活をしなければならなくなりました。20年ぐらい前のことですが、韓国に行きました。丁度、韓国経済が不況で、泊まったホテルの照明が、半分消されていて、随分と後進国に来てしまったように感じました。当時、日本は、昭和30年代の暗い照明から、明るさを競うように輝度を上げていましたから、無意識のうちにそう感じたのです。

 しかし、今や日本は、余計な電気器具は使わず、また、スーパーもモールでさえも照明を落とすようになりました。先日、特急「さざなみ」で、上京し、東京駅南口から中央線に乗り換えたのですが、あのラッシュにもかかわらず、幾つかのエスカレーターが節電のため停止という札が掛けられていて、いつもは明るい天井は、半分ぐらいの照明になっていました。これからこういうことが当たり前になっていくでしょう。

 戦後の経済成長を追求し、その路線をひた走ってきたわたしたちは、今、その物質生活に根本的な問いを投げかけられています。戦後、三種の神器を求め、それが幸せの象徴でした。この神器は、時代と共に変わってきましたが、それらのものは、人間を救うものではないし、また、本当の幸せを保証するものでもないという実体が明らかになったのです。

このことに、気が付くならば、これからの生活の不便は、捨てたものではありません。いや、むしろわたしたち日本に住む者にとって、大きな精神の転機となることが出来ます。今まで見えなかった真理の発見や新しい精神も含めた生活を再構築する良い機会になるでしょう。

 そのとき何を基軸にして転換をするのでしょうか。東京で用を終えて、館山に帰るとき、電車の便が悪く、高速バスに乗りました。暮れなずむ東京の街の中に、今評判のスカイツリーの高い塔が見えました。あの高さに建てられる秘訣は、五重塔を支える心柱の原理を応用していると言われます。新しい生き方の基軸となる心柱は、いつも新しい装いで出てくるものの、既に今まで追い求めたものではない筈です。キリストの言葉が響いてきます。

 

もどる