7月のメッセージ

 2011年7月4日

南房教会 牧師 原田 史郎

「方々に飢饉や地震が起こる。・・不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」(マタイによる福音書24章7節、12節)

 

 3・11東日本大震災以来、わたしたちの生き方に、大きな変化が起こりました。一つは、どんなに備えをしていても、それは本当の危機に対して備えにはならない、ということが、はっきりしました。想定外という言葉が多用されましたが、それは、責任逃れだということも分かってきました。自然の猛威と人間の無力さとが、知らされたことでした。

 更に、追い打ちをかけるように、福島原発の事故は、日本の広島、長崎、福竜丸に続く4番目の被爆になりました。毎日、新聞に各地の放射線量が載るという、異常事態を一体、誰が予想したことでしょうか。経済的繁栄を追い求めた、戦後の高度成長路線の破たんです。原発停止による節電に伴い、暑い夏を過すのにクールビズや扇風機、すだれがよく売れるそうです。わたしも、今夏、クラーの使用を抑えようと、今までやったことのない緑のカーテンをつくるため、ゴーヤを何本か植えました。

 

 こういった生活環境の変化は、ある程度受容出来ることですし、以前から多くの日本人は、今の生活態度ではいけないと、漠然と感じていたことではないかでしょうか。だが、被災地の惨状が明らかになるにつれ、被災された方々の痛みや苦しみを、どのように受け止め、共感すればよいのか。また、そのためにどうしたならば良いのかなど、大きな問いを問われているように思います。それは、被災された方々の問題であるとともに、わたしたちにも、同じようにいつ起こるのか分からない、危機の端境期にいる人間の状況であるからです。

 

 先月、いつもメールを送ってくる友人が、キリスト新聞に載った森一弘司教の論説を、転送してきました。「過酷な現実に流されないために」と題したこの論壇に、教えられることが多くありました。その中で、森司教は、冒頭の聖書の言葉を引用して、終わりの時、過酷な現実が起こるけれども、「その辛さを、理解しながら、キリストは、何よりも人生で大切なことは、「愛を冷やさないこと」、つまり、打ち砕かれた現実の中で、互いに寄り添い、いたわり合いながら生きること。愛を生き抜くことこそ、人生の究極目標であるというメッセージを投げかけているのである。」と書いております。

 今まで積み上げてきたもの、築き上げてきたものが一瞬に消え去っても、愛だけは、わたしたちに希望を与え、生きる力を与えてくれるからです。

 「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリント信徒への手紙第13章13節)ここに、光があるように思うのです。

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