8月のメッセージ

2011年87

南房教会 原田史郎

 

  「空の鳥を良く見なさい。・・あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6:26)

 

 先日、夕方になって玄関を出たとき、何か、足にしがみついたような虫がいました。何だろうと、明るい所で見ると、カブトムシでした。クワガタはよく来ますが、カブトムシは珍しく、裏の木立に離してやりました。

 蜘蛛がよく家の中にいますが、大きな蜘蛛は、ゴキブリを食べると聞いているので殺さないで、そのままにしています。もっとも、猫のポピーがじゃれるらしく、時々、小さい蜘蛛の残骸が床に転がっています。

 秋になると、教会の花壇や植え木に、とっても大きなカマキリが3匹も4匹も出てきます。時には、家の中にも入ってきます。カマキリは、正直のところ、その姿からして、あまり好きではありませんでした。

 でも、虫は虫で、激しい生存競争をしながら、一生懸命に生きていることを、絵本作家の澤口たまみさんの文章で知りました。わたしが関係している、保育雑誌に執筆をお願いしたのですが、いつも「虫の代弁者」という肩書をつけておられます。

 澤口さんによれば、一匹の雌(めす)カマキリは、約千個の卵を産むそうです。あの卵のかたまりには、150個の卵が入っていて、一匹のめすは、平均7つのかたまりを産みます。この千個の卵から、どれだけが次の世代に生き残らなければならないかというと、おす数匹を入れた、たった5匹なのです。別の見方をすれば、955匹のこどものカマキリは、食べられたり、餌がなかったりして、死んでしまいます。

 でも、それらのカマキリたちは、どうせ死んじゃうのだから、生きていても仕方がないと、思っているでしょうか。実際は、カマキリには、人間の様に思考をつかさどる大脳皮質はありません。ですから厳密には、考えるとか思う、ということはないでしょうが、神さまから与えられた自然的本能に即して言えば、カマキリは、自分の絶滅を、運命的に自覚はしていないでしょう。むしろ、本能のレベルであっても、最後まで生きるぞ、あきらめないぞと、一生懸命に生きぬくことを考えていると思います。

 そんなカマキリにも命を与えてくださった神さま。このカマキリたちを考えると、わたしたち人間は、神さまから、何倍も、何十倍も恵まれたいろいろなものをいただいているのが分かります。

先日、庭に出ると、小さなカマキリが数匹、葉っぱや茎に留っていました。思わず「頑張れよ」と、声をかけてしまいました。

 

(この話は、南房教会の子どもの説教に、手をいれたものです。)

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