9月のメッセージ

2011年9月4日

南房教会牧師 原田史郎

 

  「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」(マタイ10:16)

 

 最近気が付いたのですが、鳩の姿を見ることが少なくなりました。早朝、あのクルッグルーと啼く鳩の声が聞こえるのですが、何故か、姿を現すのは、黒いからすです。聖書の中で、鳩はしばしば登場します。ノアの箱舟物語の鳩は、良く知られています。新約聖書では、主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時に、「イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」(マタイ4:16)と、あります。

 この光景は、古代から聖画の作者のイメージを膨らませました。たとえば、15世紀のフランチェスカの絵では、大木の下にヨルダン川がチョチョロという感じで流れていて、立ったキリストが、両手を合わせて、ヨハネから頭の上に水を注がれています。木の下には、3人の女性が見守っています。そして、水を注ぐヨハネの手の上の方に、翼を広げた大きな鳩が、留まっています。それぞれの時代に、聖画には、決められた構図があったようですが、鳩が大きな役割を演じています。

 

 日本聖書協会の機関紙「種まく人」35号に中勘助のことが載っていました。「銀の匙」や「鳥の物語」(岩波文庫)知られている、大正から昭和初期に執筆活動をした詩人、小説家です。中は、1924年、房総の岩井の海岸で、浜辺に寄せられた美しい貝をみて、「貝殻」という随筆を書いています。中の書いた作品の中に「鳩の話」があります。キリストの上を飛び回っていた鳩が聖霊と間違われてしまうのです。ところが、商人に捕まって、生贄に捧げられるところをキリストに助けられる、というストーリーです。この話に興味があるのは、館山に住むわたしたちには、中勘助が岩井に来て、幾つかの作品を書いたことです。教会の中野さんたちが所属している岩井案内人の会が作った「とみやまウォーキングマップ」の中にも紹介されています。

 

 表題の聖句は、迫害の厳しくなる中で、その覚悟と心構えについて、主が語られたものです。ここでは、賢さと素直さとの両方が、わたしたちに求められています。「善にはさとく、悪には疎く」(ロマ16:19)、「知る力と見抜く力とを身に着けて」(フィリピ1:9)、純真で、清いものであることが、不測の事態に対して、わたしたちの霊的な備えになるのです。

 その意味で、わたしたちひとりひとりの心の中に、聖霊による鳩が宿り、また、わたしたちの周りには、鳩が舞っているのでは、ないでしょうか。平和と柔和の鳩の代りわりに、黒いからすが飛び回り、けたたましく啼くことのないように気をつけたいものです。

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