10月のメッセージ

2011年10月4日

南房教会牧師 原田史郎

 

「神は、その独り子をお与えにかったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

(ヨハネによる福音書3:16)

 

 少し前のことですが、江戸時代の人が戸籍上、生きていることが分かり、一寸したニュースになりました。その人は、文化7年(1810年)生まれの男性で、生きていれば、201歳になっています。こんな事例が、各地で次々に分かり、文政7年(1824年)生まれの男性もあり、生きていれば187歳。江戸幕府13代将軍徳川家定と同年になると、新聞が報じていました。こういうことは、自治体に死亡届が出されないと、戸籍が抹消出来ない、「戸籍法」によるからです。欧米には、戸籍はなく、出生から死亡まで別々に管理されていて、また、届け出も日本のように親族である必要はありません。戸籍上のことですが、江戸時代の人が永遠に生き続けるということがあるわけです。

 

 教会で「聖書の学びと祈りの会」を、毎週水曜日の午前10時30分から持っています。そこで今、「ヘブライ人への手紙」を読んでいます。その中に「メルキゼデク」という旧約聖書(創世記14:18~20)に出てくる祭司が、イエス・キリストのモデルとして紹介されます。「キリストは、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。」(ヘブライ5:6,10)

 イスラエルの祭司は、アロンの系譜に属する、レビ族の祭司が職を代々継承してきました。しかし、キリストは、このアロンの系譜ではなく、旧約にたった3節しか言及されていないメルキゼデクに喩えられるのです。

 

 ではこの高貴なメルキゼデクという人は、一体どんな人物なのでしょうか。残念ながら、聖書の中から、彼のプロフィルを探し出すことは出来ません。このため、長いこと謎の人、神秘の人として、考えられてきました。

 ところが近年、聖書考古学の発達によって、メルキゼデクは、アブラハムと同時代のソドムのような低地部の王の一人であることが分かってきました。しかし、このメルキゼデクには、系図が残されていないのです。アロンは、系図を構成する各世代の中で、生があり死が記録されています。しかし、メルキゼクは、聖書の中にアロンの系図の様な記録は一切なく、このことによって、永遠に、神の祭司として存在し続けていたのです。このことがキリストの永遠性の比喩になりました。

 

 わたしたちの地上の戸籍は、アロンのように、生と死をもって終わります。聖書は、キリストを信じる者は、永遠の命を得ることが出来ると語っています。戸籍上の存在ではなく、神さまからの命によって生かされるのです。聖霊による天の戸籍に登録したいものですね。

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