12月のメッセージ

2011年12月4日

 南房教会牧師 原田史郎

 

 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

(イザヤ書9章1節)

 

 今年も11月最後の日曜日から待降節に入りました。教会では、待降節を「アドベント」ともいいます。「待つ」というラテン語です。アドベントに入ると、教会はいっぺんにクリスマスモードに変わります。

 まず、教会の軒下、庭のアメリカンフェンス、そして教会堂の横に生えているマキの木などにクリスマスのイルミネーションが取り付けられます。去年この電飾は、幾つかの豆電球がだめになってしまい、奉仕の壮年たちが苦労しましたが、今年は、LEDに変え、発光も一段と鮮やかになりました。日暮れから4時間ぐらい点灯しますが、丁度、教会正面のライトアップと重なり、下の道路から見ると、教会が闇の中に浮かび上がって映えるのです。道行く人が、一人でも二人でも、この光で、クリスマスの訪れを知って欲しいと願っています。

 

 礼拝堂の中では、クランツが作られそこに4本の赤いキャンドルが立てられます。このクランツは、花作り農家のOさんが小さな花が咲き誇る「オータムパレット」という花の小鉢を調達してこられ、この赤、白、ピンクの小鉢を並べて、その真中にキャンドルを配置します。毎日曜日ごとにキャンドルが一本ずつ点いて、4本全部が点くと、待っていたキリストの降誕日、クリスマスです。この他、扉にリースを飾り、講壇に真っ赤で大ぶりなポインセチヤが置かれると、これだけでもう、主キリストがお生まれになった喜びが伝わってくるようです。

 

 多くの日本人にとって、クリスマスのイメージは、サンタクロース、プレゼント、クリスマス・ツリーぐらいではないかと思います。町の店でクリスマス・オーナメントを探しても、まず馬小屋のイエスさまや、東方の博士たちや羊飼いを見付けることは難しいことです。

 館山では雪は降りませんが、それでも寒い北風や曇天の日もある12月、サンタクローが橇に乗って持ってくるプレゼントやケーキに心を躍らせるのは、楽しいことです。

 

 しかし、これらのものはシーズンが終わると、はかなく消えてしまうものでもあります。クリスマスの真の喜びは、それが単なる年中行事としてのお祝いや、人間の外側の楽しみではなく、わたしたち、「死の陰の地に住む者」に「大いなる光」でありたもうイエス・キリストの永遠の命の光が射しこんできたと、いう一点にあります。

 この中心の出来ごとに向かって、イルミネーションもクランツも、その喜びのときへの祈りの備えであり、賛歌なのです。是非、あなたも“クリスマスは教会で!”

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