1月のメッセージ

2012年1月1日

 南房教会牧師 原田史郎

 

「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5章17節)

 

 新しい2012年が始まりました。キリスト者にとっては、アドベント(キリストを待つ待降節)、クリスマス(キリストの降誕日)から教会の暦が始まっています。これに太陽暦の11日[元旦]を入れますと、新しい出発が2回あることになります。また、最近は祝う人がいなくなりましたが、旧暦では、1213日が正月こと初めで、昔は、すす払い、炉の火改め、年木、門松迎えなどをしていたことでした。

 お正月は、多くの人が故郷への帰省、正月休暇、家族団らん、それにおせち料理や御雑煮といった、正月習慣や行事で和みます。でも、3・11以降、愛する家族や家、職場を失った方たちのことを思うと、無条件に祝う気分にもなれません。

 本当のお正月、新しい再出発へとわたしたちを促すのは、単に暦の行事ではないでしょう。それは、わたしたちの心と生活の中に、「新しいこと」が起こらなければ、また、いつもと同じ日々の繰り返しに戻っていくに過ぎません。この「新しいこと」を見出すことこそが、真の正月、新年の寿ぎ(ことほぎ)ではないかと思うのです。

 南房教会では、クリスマスに二人の姉妹が受洗されました。最果ての地にある小さな群れにとって、この方たちの受洗は、大きな喜びでした。そのお一人の姉妹は、これから視覚障害者の学校に進学して、専門技術を身に着けるために受験勉強中の方です。受験が終わって、合格発表を聞いてから洗礼を、という思いであったようです。懸案が一段落して方向性が見えてきたときに受洗するということは、理にかなった納得のいく考えであると思います。

 ところが、教会のある役員さんが、「クリスマスが近づいています。洗礼を考えられてはどうでしょうか。」と声を掛けられたのです。そしてこの姉妹は、一段落したてからではなく、その前に受洗して、神さまと共に新しい出発に挑戦したい、と決断されました。

 わたしはこの姉妹の決断に、かつてイスラエルがヨシュアの指導のもとにヨルダン川を渡る光景を思い起こしました。春のヨルダン川の水は、堤を超えんばかりに満ち溢れていました。しかし、ヨシュアは、水が引いてからではなく、神の箱を担ぐ祭司が先頭に立ち、彼らの足が水際に浸ると、川上の水は留められ、民は、エリコに向かって渡ることが出来たのでした。(ヨシュア記3章14~16)

 2012年、神さまの計画されておられる「新しいこと」が、この年起こることを期待したいものです。あなた様の上に、それが実現しますようにお祈り致します。

 

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