3月のメッセージ

2012年3月4日

南房教会牧師 原田史郎

 

「わたしはこれを行うゆえ、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」

(口語訳)(アモス4章12節)

 毎月わたしのところに、新潟燕教会の長谷川久一さんから「新潟アシュラム通信」が送られてきます。燕教会とは、無牧の期間、新潟市から月1回は、妻かわたしが主日礼拝の説教の奉仕に伺い、交わりをいただいた関係があります。長谷川さんは、その教会の役員で、牧師のいない期間、よく教会を支えておられた方です。この「新潟アシュラム通信」の3月号に挟み込んである通信に、延原時行元敬和学園大学教授によって良寛詩が紹介されているのが、心に残りました。この詩は、「 盗人に  取り残されし  窓の月 」です。

 この詩(句)を読んでいろいろな感想があると思います。わたしは平凡ながら、泥棒が物を盗んで持って行ってしまったけれど、素晴らしい窓から見える月だけは残っていた。物を盗んでいく貧しい心の盗人に、寒々とした人の有様を思いわびしさを覚えていた。しかし、そんな思いを忘れさせるような美しい月が、窓の外に輝いて登り、決して取り去られることのない天の豊かさに、静かに見入っている、といった情景が、出雲崎の五合庵の光景とともに浮かびます。

 

 ところがプロセス神学者でもある延原師のユニークな解説は、この盗人は、産業革命以来、地球資源を蕩尽し尽くしている人類の罪業と見るのです。石油の近代文明の後に何が残っているのでしょうか。そこで良寛禅師が教えているのは、煌々と照る「窓の月」即ち仏の慈悲の覚であるというのです。

 氏に言わせると、持続可能な世界になるためには、そこで地球文明人の懺悔の認識が回心いたるとき、新しい文明が生まれるのだと言われます。このままでは破滅に向かっていることを自覚し、生き方を変えることが必要なのです。現代文明に対する一つの慧眼です。

 

 預言者アモスは「あなたの神に会う備えをせよ」と預言しました。この預言については、二通りの受け取り方があります。一つは、悔い改めよ、考えるものです。もう一つは神の審判がすでにそこに来ている、という説です。p・c・クレイギをはじめ大方の聖書学者は後者を取っています。事実、歴史的には、北イスラエル王国の滅亡が迫っていました。しかし新約時代では、神さまの招きがイエス・キリストの福音によって、わたしたちに呼びかけられており、まだ悔い改めのときが残されている、とみることが出来るのです。

そうであれば、主にお会い出来るうちに、その機会が残されている今、わたしたちの生き方を神さまの方に向けたいものです。方向転換して、神に向かって新しく生きる世界を広げましょう。

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