6月のメッセージ

 2012年6月3日

南房教会 原田史郎

 

「律法の専門家は言った。“その人を助けたひとです。”そこで、イエスは言われた。“行って、あなたも同じようにしなさい。”」  (ルカによる福音書10章37節)

 

 わたしたちが館山の教会に赴任して、今年で4年目に入ります。早いものだと思いつつも、やっと房総の気候や文化、人間風土のようなものが見えてくるようになりました。房総固有のそれなりに優れたものがあるのですが、ことキリスト教に関しては、かなりの荒野だという感を深めています。明治以降、積極的な伝道がなされなかったということもありますが、心の土地を耕し、人を育てるキリスト教学校が無かったことなどもあるかもしれません。

 

 しかし、この荒野のような房総にも、小さいながら福音の種が蒔かれ、それが今に至るまで、語り伝えられているのも確かです。明治期の聖公会の働きとコルバンさんについては、南房教会の平本紀久雄さんが小冊子で紹介しています。

 今、館山市内にある聖公会、同盟教団の教会、それに日本キリスト教団南房教会の

三つの教会で「城山キリスト者墓地管理委員会」を構成して、定期的に会合を持っています。コルバンさんの葬られた墓所に、三つの教会の墓地が計画されています。こういう先人の史跡を保存しつつ、用いて行くことに歴史を感じます。

 

 先日、東金市に居られる藤田英忠さんから「斉藤奏次郎の信仰とその足跡」という〔九十九の風文庫〕のシリーズ2が送られてきました。藤田さんは、元敬和学園高校の地学の教師で、同時に宮沢賢治の研究家でもあります。新潟地区の壮年会の修養会などで、わたしも賢治の話を伺いました。採り上げられている斉藤奏次郎は、賢治に影響を与えて人で、あの「雨ニモマケズ」の詩のモデルではないか、といわれている人物です。内村鑑三と親交があり、房総にも足を延ばしています。賢治のこの詩には何回か「・・に行って」というフレーズが繰り返されています。「南ニ死ニソウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイイ・・」という具合です。

 藤田さんは、この「・・に行って」を前記ルカによる福音書10章37節と関連ずけ、賢治は、「仏教の経文だけでなく、聖書の中のこの「善きサマリヤ人」にも見出していたのだ。」と書いておられます。

 コルバン、竹岡の内村鑑三、岩井の海岸に来た中勘介にしろ、これらの人たちの房総訪問は、砂原に小さな宝石が落ちたような話です。でも、どんな荒野にも、神さまの恵みのしずくがあることを思わされます。

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