7月のメッセージ

2012年7月5日

南房教会牧師 原田史郎

 

「わたしは不毛の高原に大河を開き、谷あいの野に泉を湧き出させる。荒れ野を湖とし、乾いた地を水の源とする。」  (イザヤ書41章18節)

 

 日本キリスト教団の前議長の山下宣久師が、万博以降の教団の歩みを総括して、「荒れ野の40年」と表現して論争になりました。それは教団の紛争によって、教会が本来成すべき伝道の業が、著しく後退したことをいったものです。今日、教団の教会は、現住陪餐会員の減少期に入っているといわれます。伝道に取り組んでこなかった(これなかった)結果が、今あるとすれば、この40年間は、荒れ野の40年としか、表現し得ないということになります。

これに対して、もう一方の反論は、この期間、教会は教会に与えられている預言者的使命として、社会との関りをもつことが出来たというものです。特に、先の大戦で教団が国策の宗教団体法のもとに成立し、全面的に戦争の遂行に協力して、アジアの教会に対しても宣撫班的に振舞ったことを振り返るとき、伝道だけでは解決で出来ない、この世に派遣され、他者のためにある教会の別の面もみえてきます。

状況を荒れ野と見るかどうかは、判断の分かれるところです。地理上の砂漠地帯と異なり、そこには捉え方、認識の違いが存在するからです。それはわたしたちの方からわたしたちを取り巻く環境や歴史、文化、地域の習俗を含めて、そのトータルなものをどのように捉えるのか。別言すれば、それによって対応も展望も変わってくることになるのだと思います。

 聖書は、荒れ野に神のみ業の起こることを預言します。「わたしは不毛の高原に大河を開き、谷あいの野に泉を湧き出させる」荒れ野であるのか肥沃な地であるのかは問われません。大切なことは、荒れ野であるからこそ、そこにいのちに満ちた恵みをもたらす、神さまの霊の働きがあるのです。

 わたしたちの教会が、館山に教会を設立しようとしたとき、そこは荒れ野だからおやめなさいと、アドバイスを受けたそうです。しかし、ここは決して荒れ野ではないと、志をもった人たちは思い、祈りの中で南房伝道所の開設に至ったことを、役員の坂本雄三郎さんに伺いました。それはまさに「不毛の高原に大河を開き、谷あいの野に泉を湧き出させる」という預言の成就でもあったのだといえるでしょう。

 荒れ野だと認識することは、マイナスであるとは思いません。荒れ野であればこそ、そこは、神さまの新しい恵みの奇跡が起こる場所でありステージなのだと思います。

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