4月のメッセージ

2013年4月3日

                         南房教会 原田 史郎

 

「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」

(マタイによる福音書28章6節)

2013年、キリストの復活を記念する復活日(イースター)は、331日(日)でした。イースターは、満月の後の最初の日曜日ということになっており、クリスマスのように、決まった日ではありません。教会では、この日を迎えるために、40日前の水曜日から受難節(レント)と呼ばれる期間があります。この期間は、キリストの受難を思い、キリスト者は瞑想と克己に努めます。そして、しばしばこの季節は、自然の厳しいときでもあり、暗い曇天の日、雪や雨に降り込められたり、またわたしたちの体調も風邪やインフルエンザまた花粉症などとの闘いがあります。

しかし、3月の終りから、4月の初めになりますと、陽光きらめく春の訪れとなり、若芽が萌えいで、梅や桜の開花が人々の心を躍らせます。丁度、この頃レントが明けて、キリストの復活を祝うイースターになるのです。このイースターに込められているものは、「死者のよみがえり」「死の克服、いのちの勝利」「神の愛の究極的な勝利」(今橋朗「礼拝を豊かに」)という希望の告知なのです。

最近、通販の電話セールスで、CDのバッハ全集を購入しました。少し値が張るものでしたから、一瞬後悔しましたが、聴いてみて、大きな金鉱を発見したような感じで満足しています。それで、教会カンカータから始まって、毎日バッハ漬けのように、聞いていますが、この二ヶ月は、「マタイ受難曲(BWV243)」を聴き、明けてイースターの朝から「復活節のオラトリオ(BWV248、249)」に切り替えました。十字架から埋葬、復活への道が荘厳に、しかし希望をもって歌われています。最後の合唱はこうです。「賞賛と感謝が、主よ、あなたへの賛美の歌であり続けますように。地獄と悪魔は抑えられ、彼らの門は壊されました。歓声をあげなさい。救われた舌たちよ、それが天で聞こえるように」

人間を捉えて離さない罪と死の縄目、檻があります。朝、起床したときに、中世の修道士は「人は死すべきものと思え(メメント・モリ)」と、胸に手をあてて唱えたそうです。それは、ペストやコレラの蔓延、絶え間のない戦争によって、死がいつも真近かにあったからでした。今日、医療の発達によって寿命が延びたとはいえ、病や死、災害や事故、悪や企みによる死に至らしめる紛争などは、決して人間から離れることはないのです。

しかし、このイースターの朝、キリストは、わたしたち人間の罪を十字架の上であがない、人間を閉じ込め支配する、死の象徴である墓を破って、復活されました。「あの方は、ここ(墓)にはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」

この聖書の使信にわたしたちの人生の、希望に満ちた、決して取り去られることのない起点があるのです。

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