8月のメッセージ

2013年8月1日

南房教会牧師 原田 史郎

 

「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」

ルカによる福音書22章32節)

 

 7月の下旬に、私たちの教会で「教会一日修養会」を行いました。今年は、高齢の方や、最近体調不良の方もあり、例年のように、一日使っての修養会は無理に思えましたので、礼拝から始めて、お昼過ぎに終わるコンパクトな修養会になりました。

修養会の主題は「キリストの教会に仕える」でしたが、礼拝は「祈りの友」というメッセージを取り次ぎました。教会の週報にも要約を載せましたが、若い人たちのも、知っていただきたく、ここに加筆して転載しました。

 

最後の晩餐の席で、主イエスはペトロに言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」。かつて主は、シモンを見て「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(ギリシャ語ではペトロ)―「岩」という意味―と呼ぶことにする(ヨハネによる福音書1章42節)」と言われました。ところがここでは、主を知る前の、彼の人間性をよく表す名前で呼びかけられます。シモンと弟子たちに、主イエスの受難(逮捕、裁判、十字架)という大きな危機が迫っていて、そこではペトロの弱い人間性が、顕わにされるからです。

 

主は「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」とシモンに言われます。「小麦がふるわれる」という状態は、わたしたちの立っている地盤自体が揺れ動き、なに一つ確かなものが無くなる崩壊現象です。やがて来る未曾有の試練に、シモンの信仰ではもはや成すすべがないのです。主イエスの祈りがなければ、彼はこの試練に到底、耐えることは出来ませんでした。

 

大分前のことになりますが、ロスアンゼルスで、キリスト教書店にお土産を買いに入りました。そのとき、壁一面に「フット・プリント」と書かれた壁掛けが、架けてありました。たぶんLAの美しい西海岸を撮影したものでしょう。青い海に白い砂浜が続いています。その砂浜の上に、人の通った「足跡(フット・プリント)」が延々とついています。そしてそこに、M・パワーズが作った詩が印刷されていました。 

 

    「ある夜 わたしは夢を見た

      神さまと 二人並んで

       わたしは 砂浜を歩いていた

        一つは 神さまの

         もう一つは わたしのだった」

ところが、最後に振り返ると、足あとは一つだけだったのです。 

                                                  

これは一体、どういうことかと、いぶかっているわたしに、主の声が聞こえます。

「わたしは けっして お前のそばを 離れたことはない

お前がもっとも 苦しんでいたとき

・・わたしが お前を抱いていたからなんだよ」

 

 わたしたちの信仰と生活は、この主の祈りに支えられているのです。主は、シモンに「だから、あなたは立ち直ったなら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われます。わたしたちも、主の祈りに支えられて、兄弟姉妹のために祈る「祈りの友」としても召されているのです。

 

 わたしたちは、しばしばわたしたちの弱さや失敗を嘆きます。しかし、主がわたしたちのために祈ってくださるとき、わたしたちの弱さや失敗は、隣り人への慰めと励ましに用いられるのです。

「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」

(コリントの信徒への手紙二 1章4節)」

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