2月のメッセージ

2014年2月9日

南房教会 原田 史郎

「イエスは触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた」

マルコによる福音書5章32節

 

最近は深刻なニュースが多いのですが、そのひとつに認知症を発症するお年寄りが、急激に増えているそうです。認知症は、新潟にケアハウス「希望の園」や認知症対応型グループホーム「のぞみの里」の設立に関係して以来、わたしにも関心の高いテーマです。認知症は、物忘れが段々ひどくなるといっただけのことではなく、その人が形成してきた人格や人間性が崩壊していくことでもあります。社会的な格差や戦争によって、このようなことが起こるのは知られているのですが、平和であっても、生理学的症状として起こります。このために、医療や福祉の分野でいろいろなことが試みられてきました。ところが近年、病気で入院して、せっかく治療を受けているのに、認知症を発症するケースが増加傾向を示しているというのです。

2月5日、NHKの「クローズアップ現代」を見ていましたら、「ユマニュチュード」という、今、医療現場で注目されている認知症の方への接し方が紹介されていました。それは「見る」「話す」「触れる」という三つの接し方で、認知症が大幅に改善する、魔法のような効果が出てくるのです。

「見る」とは、見下ろすのではなく、その人の目線になって、正面から見つめます。「話す」は、一方的に話たり、最初の一言で済まさないで、穏やかに話しかけ続けます。そして「触れる」は、引っ張ったり、掴んだりしないで、本人の意思を生かして、下から支えるように手を差し出します。

この方法を考案(発見)したイブ・ジネストさんは、「ユマニュチュード」には「150のケースがありますが、その基本は、認知症の方を人間であり、兄弟であると感じることが大切なのです。絆をつくることなのです」と、話しておられました。

わたしは、この30分の番組をみながら、これはまさに、主イエスがなさった病人、罪人への接し方だと思いました。福音書のなかで、いくつもの例を見ることが出来ますが「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」(マルコによる福音書5章21~34節)もそのことを示しております。

主は、背後からそっと服にしか触れなかったのに、女を探されました。「イエスは触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた」主は、女を「見る」ことに固執されました。そして、「震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのままに話」した女に、背中越しではなく、正面から見つめて「話し」かけられました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい」

そしてこのいやし物語の隠された主題は「触れる」ことです。主イエスが、わたしたちを人間として、兄弟として見てくださり、話かけられ、触れてくださるのです。あなたも主を見て、心のすべてを、申し上げ、触れては如何でしょうか。

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