4月のメッセージ

2014年4月8日    

南房教会牧師 原田 史郎

「目が見えるようになりたいのです」マルコによる福音書10章51節

 主イエスの一行が、エリコの町から出て行こうとされたときのことです。バルテマイという盲人が叫びだしました。彼は道端に座って物乞いをしていたと、紹介されます。彼は「ダビデの子イエスよ。わたしを憐れんでください」と叫びました。彼は、周りのただならぬ雰囲気から、それが神に国を教え、悩める人々を救うイエスというお方だと知り、そして今、その方が自分の前を通り過ぎようとしていることを聞いたのでした。

「多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます“ダビデの子イエスよ。わたしを憐れんでください”と叫び続け」ました。「ダビデの子イエスよ」という呼びかたは、ユダヤ人には「メシア(キリスト)」の呼称でした。バルテマイは、主イエスを「メシア」として、呼んだのです。

この叫びは、主の心を捉えます。主は立ち止って「あの男を呼んで来なさい」と言われました。制止していた人たちも「立ちなさい。お呼びだ」と促しました。バルテマイは、応えられた喜びに「上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た」のでした。今まで道端に座り込んでいた人が「立って」「躍り上がって」 主の身許に飛んできたのです。大きな転機が訪れたのです。

イエスは「何をしてほしいのか」と尋ねられます。この問いは、神さまの方から、わたしたちに問われる、とても大切な問いです。使徒パウロは「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい(フィリピの信徒への手紙4章5、6節)」と勧めました。

わたしたちの誰もが、心の奥深いところで、何か探し求めているものがあります。それを得るまでは、決して満足しませんし、平安を持つことが出来ない何かです。それは一体何なのでしょうか。

「何をしてほしいのか」と、主が尋ねられたのは、ここが初めてではありません。エリコに入る前、エルサレムに上る途中で、ゼベダイの子ヤコブとヨハネが、主の前にやって来て言いました。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが(マルコ福音書10章35節)」 そこで主は「何をしてほしいのか」と尋ねられました。そのとき、彼らが求めたものは、ほかの弟子たちを出し抜いて、彼ら二人だけの特別な栄達を得ることでした。主は、この旅の初めに、これからメシアとして歩む十字架の道、苦難の道、それに続く復活について語られました(8章31節)。その後、このことを繰り返し二回も(9章30節、10章33節)、あわせれば3回も予告されました。だが、ヤコブたちの願い出は、彼らがこのことをまったく理解していなかったことを示しています。弟子たちには、主がメシアであることが全く見えていなかったのです。

しかしこの盲人は、主の問いに答えました。「先生、目が見えるようになりたいのです」メシアとしての主イエスのお姿を見ること、知ること、悟ることができますように。十字架から復活に進まれる主イエスのお姿を見ることが出来ますように。それがわたしたちの祈りと願いになりますように。

 

【南房教会からのお知らせ】

・3月13日(日)の礼拝は、復活前第1主日・棕櫚(しゅろ)の日の礼拝です。13日から、受難週に入ります。16日(水)の教会の「聖書の学びと祈りの会」は、主イエスの十字架の受難を覚えて、「受難週祈祷会」として守ります。

・次週20日(日)午前10時30分からの礼拝は、主イエスの復活を祝うイースター礼拝です。主イエスの受難と復活を覚えて、礼拝を守りましょう。

また、礼拝後、祝会(新会員歓迎愛餐会)がありますので、どうぞお気軽にご出席ください。当日、お二人の方が、洗礼を受けられます。

祝会の会費は500円ですが、初めての方は、無料です。愛餐会は持ち寄り形式で行いますので、もしお料理を持ち寄ることが出来るがおられれば、2,3人分で結構ですからお持ちください。サラダでも、焼きそばでも何でも結構です。実費をお支払いします。勿論、無くても構いませんので、気にされませんように。

もどる