2月のメッセージ

南房教会 原田 史郎

2015年2月1日

そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたとき、実現した」                     と話し始められた。

ルカによる福音書4章21節

 

 1月の下旬から、日本中が、大きな憂いに包まれました。イスラム過激組織「イスラム国」に二人の日本人が拘束され、その内の一人は、殺害されたからです。残されたもう一人のジャーナリスト後藤健二氏の安否がとても気懸りです。後藤さんは、日本キリスト教団田園調布教会で洗礼を受けていますから、わたしたちと同じ信仰をもったキリスト者です。

 日本が拠出を表明した2億ドルは、戦乱で悲惨な生活を余議なくされている難民の救済や支援にあてられるものだけに、誘拐グループのしていることは、理不尽なことです。今後の交渉で根気よく、日本の平和志向と、非軍事面の人道的な支援を訴えて行くしかないでありましょう。その後、125日に彼らの要求が身代金から、ヨルダンに捕えられていた女性爆弾犯との人質交換に話が変わってきました。もどかしいことですが、一日も早い解決を祈るばかりです。

 このニュースに耳目をそばだてていた折、ホロコーストを経験した95歳のユダヤ人ノルベルト・ロッパーさんの証言が、新聞に載りました。(125日、毎日新聞朝刊)。

2次世界大戦下、ナチス・ドイツによって、約600万人ものユダヤ人が殺害されましたが、ロッパーさんも父親、最初の妻、妹をアウシゥビッツの強制収容所で失っています。生き延びた人は、わずか2.7パーセントでした。

 でも、ロッパーさんはこの悲劇を乗り越えて、後にウイーンに本拠を置く名門の「FKオーストラリア・ウイーン」というサッカーのゼネラルマネージャーとして27年間第1戦で活動し、国内リーグ優勝も10回獲得するなど活躍しました。彼のくじけない精神をたたえて、人々は「ミスター・ヨーロッパ」と呼んでいるそうです。

 テロに象徴されるように、憎悪と不信の連鎖、死の恐怖が満ちているこの世界の中で、なお気高く生きた人のあることに希望を見出します。

「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読」されます。 主イエスは、荒れ野で悪魔の誘惑を受けられた後、お育ちになったナザレの会堂に行き、そこで安息日の礼拝を守られました。そのとき、主が朗読された聖書は、イザヤ書61章のメシア預言の箇所でした。ユダヤ教の会堂での礼拝は、通常、「シェマー・イスラエル“聞け、イスラエル”(申命記6章4~9節)」から始まり、祈祷、律法と預言書の朗読、奨励または説教がされ、祝梼で終わります。主が読まれた預言書は、イザヤ書611節以下の、メシア到来の預言でした。律法の書が読まれなかったのは、既に荒れ野で律法の出エジプト記や申命記が引用されていたからでありましょう。

イザヤは、「貧しい人に福音を告げ知らせ」「捕らわれている人に解放」「見えない人に視力の回復を告げ」「圧迫されている人を自由にする」「主の恵みの年」の到来をつげる預言を語っています。

 人々の目が主に注がれたとき、主イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われました。 ヨルダン川で洗礼を受けたとき、天からのメシアとして証しされた主イエスは、ナザレの会堂で、主ご自身の口によって、メシアを宣言されたのです。

 今、世界は、経済、政治、いのち、などがあらゆるところで閉塞し、わたしたちは不調和と格差などによって縛られています。しかし今、その縛りと圧迫が大きければ大きい程、イエス・キリストによる「主の恵みの年」が、わたしたちの現実の中に到来したのだと、主は宣言されたのです。最期まで、希望を失わず、主イエスに信頼し、福音の到来をおぼえつつ、主に従って歩みを続けましょう。

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