6月のメッセージ

2015年6月7日

南房教会牧師 原田 史郎

 

「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」 

ルカによる福音書6章20節

 

 認知症になる人が今後、飛躍的に増加するとのことで、ボケの予防の本がいろいろ書店に並んでいます。数冊読みましたが、大体書いてあることは同じようなもので、習慣として実践すれば、脳にも体にも良いものだと分かります。この認知症は、若い人にも発症しますが、それだけでなく、若いときからボケ易い人と、そうでない人がいるようです。勿論、そうなるのには遺伝体質や、食習慣など複合的な要素が影響するのですが、

一寸したことをすれば脳が活性化すると、あるドクターが紹介していました。

それは、100から7を引いていくと、どんな数が残るのか、という計算を暗算するのです。普通は、100を7で除すれば、14になり2が残ります。おそらく2から3秒で計算が出来るでしょう。ところがひとつひとつ計算するとどうでしょうか。100引く7は93、93引く7は86、86引く7は79、79引く7は72、という具合に計算していきますと、段々と疲れてきます。そこで、途中でやめてしまう人は、将来ボケル可能性があるといわれます。ところが、反対に、これを足し算でしていきますと、段々と元気が出てきて面白くなりませんか。

 このことは、わたしたちは、足し算には強いのですが、引き算は苦手なのです。忙しい忙しいといいながら、スケジュール表が埋まって、走り回っている人は結構元気です。

そして、若いときは、この足し算の時代です。知識と経験を積み、社会的にもキャリヤや信用を増し加えて行くのです。今、国の財政赤字が問題になっていますが、この解決もプラス思考の経済成長が前提になっていて、それでは甘いと有識者会議が批判したというニュースが報道されていました。日本はこれから少子化による人口減、労働人口の減少による低成長など、引き算の時代に入りますが、どうもその対応は苦手のようです。

 若いときの足し算も、歳を重ねてくると、積み重ねてきたものを一つづつ外していかなければなりません。社会的にもですが、体力、気力からもそれが自然の理にかなうのです。また若いときでも、いつも足し算というわけにはいきません。挫折や失敗で思いがけない遠回りを強いられる引き算のときもあるでしょう。

 でも、引き算の恵みもあるのです。わたしたちが人生で、マイナスと思っていること、

人々や世間に引け目を覚えている人に、主イエスは言われました。「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」この「貧しい」というのは、文字通り、経済的に貧しい人たちのことで、それは社会でも弱い立場の人々でした。収奪、搾取され、踏みつけられている人たちでした。「貧すれば貪する」といいますが、その心も貧しく引き算の世界に閉じ込められている人たちでした。そういう自らを覚えるからこそ、この人々は、それだけに神の救いという希望の展開に飢え渇いていた人たちでもありました。主イエスは、そのようにこの引き算の中にいる人たちに、「神の国はあなたがたのものである」と宣言されたのでした。そして「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」とも言われました。

 引き算は、わたしたちに新しい世界を開くのです。「段捨離」という言葉が流行りましたが、物を捨てて世界が変わった、という人は少なくありません。病気や休養が、今まで気付かなかった幸せや恵みを発見するときにもなるのです。そして、何よりも、主イエスの御言葉が、そのような新しい恵みに満ちた豊かな世界へと導いてくださるのです。

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