7月のメッセージ

2015年7月5日

南房教会牧師 原田 史郎

 

「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」 詩編23編2節

 

 先月、日本キリスト教団の社会委員会が札幌で開かれ、数年ぶりに北の都を訪れました。末の弟が、麻生に住んでいて、電話で呼び出して、旧交(?)を温めたりしましたが、館山に較べて高いビルが多く、街も良く整備され、また若い人たちの多いことに、何か感動すら覚えました。近代的なビルの間に、赤レンガの旧道庁、時計台、会場になった札幌教会も古い建物で、その両方が、街全体の中に馴染んでいます。

 今回、札幌で委員会を開いたのは、北海道の社会福祉のフィールドワークのためでした。二日目からキリスト教社会福祉施設の「神愛園・清田」と「神愛園・手稲」を訪問し、太田一男理事長をはじめ、そこで働いておられる施設長やスタッフの皆さんと懇談のときを持ちました。太田さんは、わたしも属している日本キリスト教社会事業同盟の理事仲間で、いつも親しくさせていただいている友人です。 以前は酪農大学の教授でしたが、要請されて、福祉の世界に入られた方で、学識と信仰の豊かな方です。

「神愛園・清田」は、農業試験場に隣接する緑豊かな丘陵地に、72人の特別養護老人ホーム、12人のショートステイ、さらに40人の「シャローム羊ヶ丘」というケアハウスが併設されています。またその隣には、「札幌羊ヶ丘教会」があり、入居者や職員も礼拝に出席しています。教会も丘陵地にあるため、少し階段を上って礼拝堂に行くのですが、階段の両側には、綺麗に咲いた花のポットが置かれ、また中段の広場は、色とりどりの花と緑の庭園で、中央に識石で敷きつめた、緩やかな道が通っています。下の道路から丘の上の礼拝堂にいたるその光景は、まったく南房教会のロケーションそのもので、親しみを覚えました。「神愛園・清田」の理念は、「高齢者とともに、地域とともに」です。ここにも、なにか南房教会の進むべき宣教の道が、示唆されているように思いました。

「神愛園・手稲」は札幌中心部から少し離れた郊外にあり、三菱マテリアルの広大な敷地に隣接して、幾つかの建物が配置されています。ここは108人の特別養護老人ホームのほか、50人の軽費老人ホームB型(すべて自立して生活出来る)と50人の軽費老人ホームA型(給食サービス以外は自立)に、デイサービスやヘルパーステーション等が併設されています。老朽化した建物に代り、目下、全室個室のトップレベルの施設が建設中です。

ここでは、毎日礼拝が持たれており、わたしも朝の礼拝に聖書の言葉を取りつがせていただきました。「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」という詩編23編からの言葉で、この「休ませる」ということはどういうことか、ということについて話しました。この新共同訳聖書の「休ませる」を前の口語訳聖書は「伏させ」と訳しています。羊は本当に臆病な動物で、温和なわりに警戒心が強いのです。少しでも不安や、恐れがあるとき、羊は決して足を折って休むことはありません。岩陰に潜む獣への恐れや、落ち着かない危険な地勢、また食べものや水の無いところでの飢えや渇きなど、そのひとつでも感じられるならば、地面に伏すことはないのです。その羊が休むときは、そこに安心と安全が感じられるときです。それは、詩編の作者によれば、いつも羊と共にいる羊飼いの存在、彼への信頼があるとき、

羊は安心を得るのです。この施設に入居されている方たちの中に、まことの羊飼いであるイエス・キリストがおられます。まさにこの精神によって運営されているホームにこそ、「休み」があるのだと思います、とお話しました。

 礼拝後、車いすを動かして一人の高齢の方が来られ「わたしは函館教会の会員で、原田と申します。今日は同じ名前の牧師さんがお話されるとのことで、楽しみにお待ちしていました」と言われて握手しました。「聖書にサインしてください」とのことで、扉に聖句を書きました。後で、司会をした指導員の方が「原田(光一)さんは、三日も前から今日の日を楽しみにしていたのですよ」と言われました。すぐに別室で、ミーティングが始まるため、ほんの5,6分の交わりでしたが、何年もの知己に出会ったような、嬉しいときでした。 キリストを中心にするとき、どんなところにも、どんなときにも、そこに交わりと平安のある恵みを知らされました。

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