8月のメッセージ

2015年8月2日

南房教会牧師 原田 史郎

 

「平和を実現する人たちは幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」 

マタイによる福音書5章9節

 

 このところ外に出る機会が多かったのですが、先月は日本キリスト教社会事業同盟の中国福祉視察団の一員として、北京に行ってきました。今、国と国とを見ると日中関係は、何かと緊張関係が続いており、折から、国内でも安全保障法案を巡って、対立が激しくなっています。この法案の背景には、北朝鮮もですが明らかに中国の拡張路線の阻止を想定していることは、政治の素人にも分かります。

 そういう状況での訪中でしたが、そこでわたしたちが経験したのは、中国の市民たちの健全で、わたしたちの訪問を喜んでくれる友好的な心でした。それは、この視察の企画をした、愛恵福祉支援財団の前理事長で、40年以上東京YMCAに関ってこられた寺門文夫氏が、長年の日中交流で築いて来られた人的交流による「老朋」という信頼関係があったからでした。経済や軍事で張り合っているような両国ですが、今回の視察で、中国の一人っ子政策の惹き起した問題や、医療、福祉全般のこれから対処していかなければならない課題の数々が、中国の人たちから率直に話されました。現地の医療、福祉関係者たちが、口々に言っていたことは、医療、福祉先進国である日本に学びたいということで、たとえば、中日友好協会での懇談のときには、入念な資料が準備されており、日本への介護士や看護師派遣の現状と計画を聞き、この人たちが日本で習得したものを、やがては帰国して中国での指導者として生かしてほしいと願っている、とのことでした。

 国と国との外交や経済活動は、利害と打算の競争関係であり、また相互補助関係であったりしますが、市民、庶民レベルの民間交流は、対立や抗争を防ぐ、平和を造り出す一つの積み上げだと思いました。

 2日目、最近完成したばかりの旧メソジスト派に起源を持つ、北京海淀堂(ハイディアン)教会を訪問しました。礼拝出席8千人の大きな教会です。女性で総務全般を担当している辺文爰牧師から、中国の教会事情や教会の歴史、働きを聞きました。街角や公の場での伝道は出来ないものの、家を中心にして、一人一人が証しをし、また教会に誘いますとのこと。中国10億人のうち、10パーセントの1億人がキリスト教だそうですが、その殆どは、いわゆる家の教会で、日本のように教会堂があって、信徒が何人、集会の公告が分かる形で見える訳ではありません。館山の南総文化ホールの数倍の広さをもつ礼拝堂、その華麗さもさることながら、布教や社会活動の制限されている中で、キリスト者一人一人が、福音を証しして歩むことの大切さを教えられました。帰国後、わたしたちの訪問が同教会のホームページに写真入りで載り、この訪問が歓迎されていることを改めて知りました。

夕食後、ホテルに入るのですが、視察2日目の7月7日は、1937年(昭和12年)の盧溝橋事件の勃発した日です。この日から1945年(昭和20年)の日本の無条件降伏までの長い日中戦争が続きました。この事件の記念日でもあり、ホテルのテレビは、どのチャンネルも抗日戦争のドキュメント、ドラマ、映画、討論などの特集オンパレードでした。中国人や北京語を耳にしながら中国で見る日本軍は(そのように作られていることもあるのでしょうが)、それはポーランドやオランダに侵入したナチス・ドイツ軍のように不気味で恐ろしいものがあります。1990年にケビン・コスナーが製作、監督、主演し、アカデミー賞を取った「ダンス・ウイズ・ウルブス」というアメリカ映画がありました。北米原住民側に入った元北軍将校の視点で描かれた映画で、そこで映し出されるラッパの音とともに攻めてくる騎兵隊は、ジョン・フォード監督の青い服を着た恰好の良い騎兵隊ではなく、凶暴な殺戮者の集団です。視点を変えると、また立っている場所を変えるだけで、八紘一宇の聖戦が侵略戦争になるという、まさに物事が逆転するということを実感しました。日本人が中国にそうであるように、中国人も日本に良い感情を持っていないことが、両国の調査で明らかにされています。国家間の対立、反日嫌中という棘を持っている両国ですが、相手の立場を思いつつ、平和を造り出す努力を怠らず、過去の歴史を直視しながら和解を願う友人として、交わりを深めて行きたいものだと思いました。

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