9月のメッセージ

2015年9月1日

南房教会牧師 原田 史郎

 

「知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら~あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう」               箴言2章2、5節

 

 最近の人は本を読まなくなっているといわれますが、少し前までは、テレビが時間を取っていました。今は、テレビより、スマホやゲーム、パソコンやタブレットによる各種の情報、音楽は勿論、映像もすぐに見ることが出来ます。ネットフリックスという映画や音楽を配信するアメリカの大手映像配信会社が、ソフトバンクと契約して、いよいよ日本に上陸すると新聞が報じていました。

 しかし、手軽に情報が手に入っても、やはり自分の目で活字を追い、その行間の含みを汲み取りつつ、その主張に考えさせられるのは書物の良いところです、この8月、比較的、時間の余裕があり、何冊か本を読む機会に恵まれました。その中からの数冊を、今回、独断と偏見で、ご紹介します。

 キリスト教関係では、とても教えられ面白かったのが、土岐健治『七十人訳聖書入門』(教文館、1800円)でした。七十人訳聖書は、初代キリスト教徒も読んだ、ヘブル語で書かれた旧約聖書のギリシャ語訳です。今日の英語のように、当時はコイネーと呼ばれる通俗ギリシャ語が、世界に広がっていました。七十人訳聖書に関する文献は、今まで、部分的な論文などで触れてきましたが、今回、土岐師がその成立過程や他のヘブル、ギリシャ語訳聖書とも対比しながら、分かり易く、解説してくれます。

 少しくだけて、信徒や求道中の方たちにもすらすら読みくだせるのが、パゴラ・エロルサ・ホセ・アントニオ『イエス・あなたはいつたい何者ですか』(ドン・ボスコ社、1400円)です。神学的な難しい用語は使われていません。初めて聖書を読んで、素朴に疑問をもっていたことに、こういう背景と意味があったのだと、改めて教えられました。「信者もそうでない人も、現代に生きる人を初めてイエスと出会った人たちの体験に近づけるのが、この本を書いた目的です」と著者が言っているように、イエスの姿が生き生きと描かれています。イエスについては、ルナンをはじめ、遠藤周作にいたるまで、多くの本が書かれてきましたが、道に迷いや困惑を覚えている人たちに、聖書とともに、併読をお勧めしたいと思います。

 趣味に入るかもしれませんが、『バチカン美術館』(DeAGOSTINI、10,000円)は、美術を通してキリスト教に接近出来ます。システィナ礼拝堂の天井画とミケランジェロの祭壇壁画「最期の晩餐」をはじめ、バチカン美術館が所有する数々の名画が収められ、3Dブルーレイが2枚ついています。わたしはまだバチカンに行ったことがないので、かの地の雰囲気は分かりませんが、500年以上の歴史をもつ美術館のエッセンスが収録されています。少し高いようにも思えますが、バチカンまでの飛行機代を考えれば、館山から東京二往復程度の出費で済むと考えれば、高いともいえないように思います。

 一般書は、興味のあるものを系統立てずに読んでいますが、『沈みゆく大国アメリカ』『保育崩壊』『大転換―新しいエネルギー経済のかたち』など、今、課題になっている社会的なテーマーのものが、多くなります。前に読んだものですが、教会の市民講座で天羽道子氏の講演を聞いて、改めて読み直したのが、朴裕河『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版 2100円)です。本書は、大佛論壇賞も受けていて、従軍慰安婦関係では、一番公平な議論の材料を提供していると思いました。日韓でとかく、感情的にもなってしまう「慰安婦問題」を、ただ日本の問題だけではなく、帝国と植民地の視点で見直ししています。BS8チャンネルで、朴氏が日本側の対論者と、冷静にこの問題を語り合っていたことが印象的でした。関連して、『「慰安婦問題」を/から考える』(岩波書店 2700円)が、論点の整理に役立ちました。

 文学とよぶべきかどうか迷いますが、確かに小説なのがフィル・クレイ『一時帰還』(岩波書店 2400円)です。2014年全米図書賞受賞作で、イラク戦争から帰還した兵士が、その経験をもとに書いた短編集です。砂漠の戦争の中で、心も体も乾ききった兵士の非日常が日常の風景として描かれています。戦場のリアリズムと突き放したようなブラックユーモア、ときには考えさせる瞑想的なくだりもあります。平和で穏やかな母国の町も、どこか壊れてしまった帰還兵士には、何かそぐわない不調和でしかありません。この小説から、慰めや希望を見付けるのは難しいのですが、命を掛けて殺戮し合っていることが、結局、それほど意味がある訳ではない、ということがよく分かります。日本人がこういう素材で小説を書くような状況にならないように、というのが率直な読後感でした。

もどる