10月のメッセージ 「イエスは世の光」

2015年10月7日

南房教会牧師 原田 史郎

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」

ヨハネによる福音書8章12節

 

                                   

 6日(日)嬉しいニュースが夕方に飛び込んで来ました。大村智北里大特別栄誉教授がノーベル賞を受賞することになったことです。医学生理学賞の分野では3人目になるそうです。大村さんは、寄生虫感染症になった家畜向けの抗生物質「エバーメクチン」を発見し、さらに米製薬会社との共同研究で、人間向けの「イベルメクチン」を開発しました。この薬は、アフリカなど熱帯地方に蔓延している蚊やブユが媒介する「オンコセルカ症(河川盲目症)」「リンパ系フィラリア症(象皮病)」、また、日本人も悩まされたダニが原因の「疥癬」等の特効薬として使われました。

 さらに驚いたことに、この薬によって中部アフリカのオンコセルカ症感染者1800万人、リンパ系フィラリア症も含めると年間約3億人の人々が救われているというのです。国内外の受賞も多く、その方面の人たちには知られている人ですが、大方の日本人は、大村さんのことも薬も病気も知らなかったと思います。

 小学生のころ、学校の図書館で「光を掲げた人たち」というシリーズになった世界偉人伝を読んだことがあります。そこには野口英世博士やアルバート・シュヴァイツアー博士の伝記がありました。大村さんは、野口英世のように感染症に悩まされ、病と死の中にあった人々に大きな光を与えたことになります。

 病気という健康や体を蝕み、ついには滅ぼすという闇がありますが、わたしたちにはもう一つの闇があります。それは罪と呼ばれる人間の魂を蝕み、滅ぼししてしまう霊的な闇です。それは体に属する心と精神のレベルをさらに深く、わたしたちの存在の根底にまで及ぶ闇です。聖書の「闇(ギリシャ語のスコトス)」は、「光から遮断された所」「無知や罪の暗黒」という意味ですが、それは希望の無い、虚無と絶望が口をあけている深淵なのです。 だれがこの深淵を直視しまた覗き込むことができるでしょうか。死という最終の絶望に人はどのように立ち向かえば良いのでしょうか。 

 しかし、主イエス・キリストは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と宣言されました。主イエスは「命の光を持つ」と言われます。ヨハネ福音書9章に入ると、生まれつきの盲人の目が開かれる奇跡が紹介されます。彼の開眼は、肉体の目が開かれたことだけではなく、罪からの救いでもありました(9章2~3節)。主イエスが光であることは、「命を与える光」であると共に、主がわたしたちが縛られている罪の闇から解き放つ「命そのもの」であるということです(1章4~5節)。この命そのものであるイエス・キリストに従って生きるとき、そこに魂の癒しと闇に打ち勝つ希望が与えられるのです。「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」という約束があるのです。

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