5月のメッセージ「神はわたしの助け」

2016年5月9日                                                       南房教会牧師  原田史郎

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから」      (詩編121編1~2節)

 

 教会員のOさんが、3月に突然亡くなりました。彼女は、グル-プホームに入所していたのですが、インフルエンザのため居室にこもっていました。朝食を運んで来た人は、彼女がまだ寝ているので、朝食を置いて退室し、お昼に行くと朝食がそのままでした。起こしたところ反応がなく、検死の結果、午前4時ごろに息を引き取ったのであろうとのことでした。誰もが驚いたのですが、彼女を車で教会に運んだことがあるNさんからメールが来ました。「不幸な生涯でしたが、一所懸命に幸せを求めた短い信仰生活でした」何も出来なかったもどかしさが書いてありました。

Oさんは、教会の門をたたいて数年でしかありませんが、自ら洗礼を志願して、教会に喜んで通って来られました。少なくとも、受洗後の数年は、人生でもっとも心穏やかなときではなかったのではないかと思います。今は40年に及ぶ長い体と心の闘病生活から解放され、天国で幸せに包まれていると信じます。

 Oさんは、館山の隣の鴨川市の出身でしたので、召天から約1カ月後、彼女のお姉さんの家に連絡して、改めて弔問に伺おうと思いました。「なかぱん」でクッキーを購入し、近くの花やで花束を整えて、カーナビに訪問先の電話番号と名前を打ち込んで小雨の中を出かけました。いつもは128号線を北上して、海岸線沿いの房総フラワーラインを経て鴨川市内に入ります。だが今日は、何故か、カーナビに従って走ってみようと決めて、充分な地図調べをしませんでした。館山市を出て南房総市に入った途端、加茂交差点から左折して410号線に入れと、カーナビがいいます。410号線は、房総半島の東側の山の中を走る道です。同乗している妻が直感したのか「この道は山に入ってしまいそうなので、戻って海岸線を行った方がよい」と言うのを無視して、カーナビの言う通りに走ります。案の丈、上ったり降ったりして、山中の「安房中央ダム」の周りをつづら折に走行し、大井の「酪農の里」に出ました。ここは徳川吉宗以来の幕府直轄牧場で、明治期に白い乳牛がいて評判になったところです。以前、教会員の落合さんが、父上の足跡を紹介するためにここに案内してくださったことがあり、そのときも白い牛がいました。でも今日は、雨の降りしきる中、ゴールデンウイークだというのに人っ子ひとりいません。するとまた、ここを左折せよ、とカーナビがいいます。自分の勘としては、直進して鴨川と保田を結ぶ34号線の長狭街道に出る方が良いのではないかと、思いましたが、最後までカーナビに付き合おうと思い、不安を感じつつも狭い山道の急坂を上ります。すると次第に標高が高くなり、霧が立ち込めて外界は見えず、遂に行き止まりになってしまいました。そこは航空自衛隊嶺岡基地のゲート前でした。この基地は、千葉県最高峰の標高408メートルの愛宕山の山頂にある入間基地の分とん高射群で、飛んでくる敵機をミサイルで撃ち落とすという基地です。道を聞いても申し訳ない、分からないという、自衛官の敬礼に送られて、坂を少し降るとまた左折せよといいます。広い舗装された道に出て、何で山頂にこんな道があるのかと思いつつ走りますと、「コスモクラシッククラブ」というゴルフ場の入口に出ました。いつもは持って行く地図をこの日に限って置いてきてしまったため、カーナビの広域図では地名もよく分かりません。直進すればクラブハウスに行きそうで、右の道は狭い未舗装の山道、しかもガスが立ちこめて視界がききません。後で調べると、むしろ内房の富津館山道路の127号線の方が近く、目的地の外房の海岸線沿いの方向と外れていました。GSPのカーナビも、山間地では役に立たないことがよく分かりました。

そして、事件が起こりました。これはもう一度、酪農の里まで戻るしかないと思い、車をバックしてターンしようとしたところ、タイヤが空回りして前に進みません。見ると車台が土手の盛り上がった低い堤に乗り上げて、そこが土に食い込んでしまったのです。ダンボールをタイヤに噛ませても動かず、堤を削るスコップはなし、おまけに霧の立ち込めたゴルフ場に来るゴルファーもなし、スーツも泥だらけにして、もはや万事休す、お手上げになりました。でも、奇跡は起こるのです。こういうときでも、神さまはきっと助けてくださるに違いない、という確信があったのです。ペットボトルのお茶で咽の渇きをいやしつつ「もうじたばたしてもどうしようもない。きっと、神さまがなんとかしてくださる」と妻に言い、祈りつつ、ひたすら車の中で待ちました。

すると霧の中から作業用の軽トラックが通りかかったのです。事情を話して、工具を借りようとしましたが、あいにく装備を持ちあわせず、作業員のおじさんは、グリーンの中に入って、長い杭を引き抜いて持ってきました。二人で車を持ちあげようとしましたが当て具合がフィットしないため、車は少しも動きません。「これは、重機で引っ張るしかないね。途中で若いのがおるので声をかけてみますわ」と言って、おじさんはまた、もと来た道を引き返して、軽トラに乗って霧の中に消えて行きました。しばらくすると、今度は前部にシャベルをつけた小型ブルトーザーがゆっくりと霧の中から現れました。かくて、二人の若い衆(土木作業員)と通りかかったゴルフ場の職員の方たちが牽引して、車は無事にぬかった小堤から抜け出ることが出来ました。固辞する二人に、お礼に「なかぱん」のクッキーを押しつけて、折から雨も止み、霧も晴れた長狭街道に出ることが出来ました。Oさんのご遺族宅に、約束の時間から4時間位遅れましたが、無事に着くことが出来、Oさんの生涯を、ご遺族と偲ぶことが出来ました。

 この日の出来事は、離婚も経験し、人生の紆余曲折を経験し、最後に主イエス・キリストの救いに導かれたOさんの生涯をシュミレーションしたような一日でした。これでよいのかと迷いながら、今更後ろに戻れず、前に進んでいる積りでも、ますます目的地に遠ざかり、霧に巻かれて視界不良の中で挫折し、にっちもさっちも行かなくなってしまいました。 でも、そんなわたしたちを神さまは、見ておられ、折に適った相応しい助けを与えてくださったのでした。

 詩編の詩人は「わたしの助けはどこから来るのか(詩編121編1節)」と、目の前にそびえ立つ山々を見上げながら祈りました。そして「わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから(2節)」と歌いました。わたしたちも、その時々に、環境の好転や周りの人たちに助けられながら、歩んでいるのだと思います。そこには、わたしたちを愛してくださる主の見守りと導きがあると信じます。ですから「あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに(8節)」と詠う詩人に「アーメン(本当にそうです)」と唱和するのです。

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