9月のメッセージ「最期まで走りぬくために」

2016年9月4日

南房教会牧師  原田 史郎

「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピの信徒への手紙3章14節)

 

 8月にリオデジャネイロで開催されたオリンピックは、ロシアのドーピング問題、現地の政治や治安情勢の悪化や、またテロへの警戒など、円滑な開催を危ぶむ声もありました。

しかし、蓋を開けてみれば、日本選手の大活躍で、金を始めメダルも多く獲得して、日本中を歓喜の渦に巻き込みました。7月には東京都知事選があり、小池知事は東京オリンピックの不透明な予算の立て方に疑義を示していましたが、大方の都民もなんとなく、本当に東京に招致したことが良かったのかと思い始めていたのではないかと思います。それが、リオの日本選手の好成績によって、課題を残しながらも風向きが変わったようにも見えます。続いて開催されているパラリンピックも、感動の物語を描くでしょう。

 事実、メダルを取ったアスリートたちから、彼らの絶えざる精進や不屈の闘争心、逆境を克服するメンタリティー等、多くのものを学び取ることが出来ました。一人一人の選手たちに、それぞれのドラマがあったのですが、その一人の金籐理絵選手のケースに考えさせられました。それは彼女が、挫折という心の障害を乗り越えたからです。

 金籐選手(27歳)は、競泳200メートル平泳ぎを2分20秒30で優勝、金メダルを獲得しました。だが、この日までの彼女は、アップダウンの連続で、高校生までは、都会の設備が整い専門のコーチのいるクラブではなく、広島の山中の町の照明設備もない屋外プールでした。暗くなるとコーチの車をプ-ルサイドに寄せて、ヘッドライトの光で練習したそうです。その後、練習に励み、東海大学2年のとき、2008年、北京五輪で7位入賞。次の年、日本記録も更新します。ところが腰を痛めてロンドン五輪は出場を逃し、一方、10代の若手選手が次々に台頭してくるようになり、優勝も遠のき、記録も振るわず、やめたいと、言うようになりました。普通ならば、年齢のことも考えてこれで引退してしまうのですが、大学時代から指導していた加藤健志コーチが「続けていれば、お前は必ず世界一になれる」と、引きとめました。そして弱音を吐く金籐選手を、ときには泣きながら怒り、励ましました。コーチも一緒になって、バーベルやダンベルを持ちあげ、汗を流しました。

 金籐選手という素材が良かったというのは、当然のことですが、それだけでは決して金メダルにはならなかったでしょう。その素材に着目して、彼女の折れそうな心の障害を取り除き、それを克服してより高いレベルへと導いた優れたコーチの存在が大きいと思います。競泳のレースの直前、加藤コーチは、10ヶ月間練習してきた戦略と全く正反対の指示を出します。「最初の50メートルは(速く)行くな。ターンしてからが勝負だ」 今までは、記録を上げるのは、最初の50メートルをいかに速く泳ぐのかを課題としていました。ゴール後、金藤選手は「コーチを最期まで信じてやろうと思った」と、突然の変更というコーチングを素直に受け入れた心情を表白しています。

  ロジャー・ブラックは『目標達成の秘訣』(TBSブリタニカ)で、「心の障害を除け」の章でこう書いています。問題があるときには、「論理的障害」「創造的な障害」「感情的な障害」の三つがあるのだといいます。「論理的障害」は、事実の整理がつかず関連を無視した材料が雑多にあり、必要な情報も100パーセント揃っていない。「創造的な障害」

は、思いつきや過去の体験だけに頼って、発想の飛躍はあるが思考過程を吟味しない。そして「感情的な障害」は、自分の考えに自信がなく、自分は創造的ではないと思いこんでいる、というのです。

 加藤コーチは、論理的に「お前は必ず世界一になれる」としっかりした目標をイメージ化して、そのための実行可能な練習メニューを立てました。「創造的な障害」を乗り越えたのは、コーチが準決勝の金藤選手の想定より2秒遅いラップを見てからでした。当初の戦略は、2分20秒代でトップをとり、相手のメンタルを崩すことでした。遅くなった原因は、足の動かし方の微妙なずれで、この修正のためにレース前のウォミングアップを、通常の3倍になる3千メートル泳がせて修正しました。そしてさらに前述の方針変更を指示して、後半のギアアップを図ったのでした。この論理的、創造的な対処は、10年間、培ってきた師弟関係の信頼に裏打ちされて、恐れよりものぞみを与え、全力で泳ぐ意欲への「感情的なモーメント」も強化されたのです。

 聖書では、信仰の生涯をしばしば「歩み」や「走る」ことに例えます。わたしたちが信仰のレースを最期まで走りぬくために、神さまは三つのコーチングを備えてくださいました。第1は、進むべき真理の道を示す「聖書」です。そして第2は、信仰を育む「信仰共同体としての教会」です。教会に集う人々と礼拝と交わりを共有しつつ、祈り合い助け合い、励まし合うのです。そしてなによりも親密に、わたしたちの生活の全ての領域に亘って導いてくださる「聖霊なる神」が、わしたちを励まし、折に適った助けと力をくださるのです。神さまのコーチングに支えられて「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」者となりたいものです。

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