12月のメッセージ「羊を捜す羊飼い」

2016年12月1日

南房教会牧師  原田 史郎

「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」

(ルカによる福音書15章4節)

 

 今年もクリスマスのシーズンになりました。キリストの誕生の知らせを、神さまは、まずベツレヘム郊外にいる羊飼いたち告げられました。この羊飼いへの最初の告知は、興味深いものです。

 羊飼いは、イスラエルの先祖アブラハムが牧羊者であったことから、旧約聖書によく登場します。羊飼いは、初期には天幕に住み、寄留者として草地や水を求めて高原を移動していましたが、後にイスラエルがカナンに定住するようになると、牧場を持ったり、石垣で羊を囲う家や、また洞窟に住まわせたりしました。

 また旧約時代には、モーセやダビデ王も羊飼いでしたが、主イエスの時代になると、羊飼いは徴税人のように律法を守らない「罪びと」に数えられるようになってしまいました。特に、ユダヤの敬虔派を自負するファリサイ派や律法学者たちは、イエスが罪びとと食事をしていることを、しばしば非難しました。ルカによる福音書15章のある主イエスのたとえ話は、彼らの不平に対して語られたものです。このたとえ話の最初が「見失った羊」のたとえであったことは、そこに羊飼いたちも同席していた可能性が大きいと思います。

 当時、羊は村共同体のものが多く、その1匹が失われることは、羊飼いに止まらないで村全体の損失になりました。このため、羊飼いは、失われた羊を必死になって捜すのです。「そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、

『見失った羊をみつけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう(15章5~6節)」と主イエスが話なされたことは、聞いていた人たちが同感するものでした。

 このたとえ話は、一見少し大袈裟ではないかと思う人もいるでしょう。たった1匹の羊のために「友達や近所の人々を呼び集めて」まで喜び祝うのですから。でも、その羊が、村の人たちの大切な共有財産であればよく分かることです。みんなが心配して案じていた迷子の羊の帰還は、村の人々、共同体にとっても良い知らせ(グッド・ニュース)なのです。 

 キリストの誕生の知らせは、まず羊飼いたち告げられました。彼らは、救い主の降誕というユダヤの人々が長年待ち望んでいたよい知らせを、最初に聞く特権に浴しました。そこには、見失われていた罪びとへの、神さまの顧みと救いの固い意思が現わされています。底辺の羊飼いたちへのキリストの訪れは、今日でも神の憐れみと救いから、誰一人としてこぼれ落ちることのないことを示しているのです。羊飼いが、見失われた羊を必死になって捜したように、神さまは、わたしたちを必死に捜し、わたしたちのところに救い主イエス・キリストをお送りくださいました。クリスマス、おめでとうございます!

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