1月のメッセージ「夢を持ち続ける」

2017年1月1日

南房教会牧師  原田 史郎

「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」

(アモス書5章24節)

 新しい2017年が始まり、過ぎゆく年月の早さを覚えるとともに、今年も思いを新たにして出発しようという思いを持ちます。年頭にいろいろな目標や課題をあげて、今年こそは、と意気込む人もいるでしょう。ただ、わたしの経験は、三日坊主に終わるか、忙しさにまぎれて目的意識が薄れてしまうことの方が多いことでした。

 しかし、○○校に合格したいとか、会社の今年の目標は必ずクリヤーせよ、といった自分の生活や利益に直接関わることは、いつも念頭にありますから、達成率の高い目標設定ということになるでしょう。

 このような一年や二年といった短期の目標設定に対して、わたしたちが生涯にわたってその達成を目指すものが「夢」ではないかと思います。その夢を、今年も描きながら、一歩でもその実現に近づけるなら幸いなことです。夢というとき、M・ルーサー・キング牧師の「アイ ハブァドゥリーム(わたしには夢がある)」がよく知られています。彼の描いた夢は、黒人と白人が共生するアメリカ、皮膚の色や出自によって差別されない国という、黒人差別の厳しい現実の中で描いた夢でした。

 今年、アメリカ大統領にD・トランプが就任します。かれは、「偉大なアメリカ」の回復のために「アメリカ第一」という夢を挙げ、支持を得ました。彼を支持した人々は、かつての「アメリカン・ドリーム」の夢が破れた中間層の人々だといわれています。この層の人々の絶望感は、「選挙期間中に45歳から54歳までの白人の死亡率が過去15年間に1割も増え、それも薬物の過摂取や自殺によるものが多いとするブルッキングス研究所の調査が公表され、大きな衝撃をもって迎えいれられた」(吉田徹「『グローバリズムの敗者』はなぜ生まれつづけるのか」)によく表れているといえるでしょう。

 アメリカが唱え主導した市場主義、自由主義経済(貿易)といったグローバリズムが、皮肉なことにアメリカ自身を疲弊させ、衰退させてしまったのです。この破綻はたんに経済優先ということに止まらないで、これらを推進してきた政治・経済・文化エリートたちへの反感になりました。それがポピュリズムや社会的リベラリストへの支持になったと、識者は指摘しています。前者の代表がクリントンであり、後者がトランプやサンダースでした。また、F・ザカリアも「EU離脱やトランプを支持した有権者の動機は『経済的理由ではなく文化要因だった』と指摘しています。(小熊英二「『昭和の世界』と決別を」朝日新聞12月22日)この支持層の人々は、従来の生活様式を維持できない危機感から、ポピュリズムに走ったのだといわれます。

2017年、変わりゆく世界は、良くても悪くても昭和の夢も、グローバリズムの期待も、そして資本主義と民主主義の二人三脚も、すべてが不確かで揺れ動いているように見えます。

わたしたちの夢はどこに描かれるのでしょうか。それは今までわたしたちが享受し信じてきた「この道しかない」という道なのか、それともわたしたちが見失ってしまったものをもう一度見直し、地域が活かされ、人々が共に支え合い、隣人と共に生きる「あの道もある」なのでしょうか。経済成長を求め続け、平和を守るというフレーズのもとに軍事力をバランスさせ安定を図る、そういう社会の維持と継続のための夢を描くのか、それとも社会の公正・正義や人の生きる権利が尊重されるという社会の実現のための夢なのか、どちらなのでしょうか、そういう祈りをもって、もう一度、聖書を開いて、夢を描けたらば、と思います。

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