5月のメッセージ「挫折からの回復」

2017年5月7日

南房教会牧師  原田 史郎

 

「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない」  

(コリントの信徒への手紙二 4章8~9節)

 

 最近、病気の治療薬の進歩は目覚ましいものがあります。友人は、長年悩まされてきたC型肝炎をハポニンという新薬を服用したところ完全になおったそうです。先日、親交のある元新潟大学医学部の教授ご夫妻が来訪された折、この話をしましたら「今にC型肝炎はなくなるでしょう」ということでした。ガンでも肺がんの特効薬オブジーボ(ニボルマブ)が効き目と共にその高額なことが話題になりました。わたしも抗コレステロール薬のスタチンを飲んでいますが、以前、気にしていたコレステロール値はこの10年、一度も基準値を外れたことがありません。薬の効き目の良さに驚嘆するばかりです。おそらく、これからもガンの分子標的薬クリゾチニブのような良い薬が出てくることだと思います。

 このような良薬の進歩にも拘わらず、わたしたちの心の方はそう簡単には行きません。病気になると、体は動けるのに、気力が喪失し、先行き不安が心を支配します。健康の定義は「病気ではないとか弱っていないということではなく、肉体的、精神的、そして社会的にもすべてが満たされた状態」(世界保健機関)だとすると、この三つのうち、その一つでも欠けてしまうと健康とはいえず、病気ないしは病的な状態になってしまうのです。そういう挫折や心の折れた状態は、わたしたちがしばしば経験することだと思います。

 けれども、肉体的、精神的、社会的にもすべてが満たされた状態がでなくても、いやその全てが欠損していても、忍耐し希望をもって前向きに生きる道もあるのです。そこでよくいわれることは、まず精神的な耐性(レジリエンス)を持つことでしょう。ストレスに負けない、強い心を持つことです。スポーツ選手は、体の訓練と共にイメージトレイニングのような精神的なものの強化が今や必須のプログラムになっています。病気に克つために免疫力や抵抗力が必要なように、自分の内面に力を蓄えるのです。わたしたちも出来るならば、このような自己訓練、自己肯定による自己実現や目的成就のための自己意識を持ちたいと思います。

でもよく考えると、それはどこかにまだ自分の拠って立つ基盤や力が残されているときでありましょう。だが、その基盤をも揺り動かされ打ち崩されたとき、わたしたちは、一体どこに生きる根拠を見出せばよいのでしょうか。大きな地震が起きて、全てが揺れ動いてしまえば、掴まることが出来る物はなく、さらに重大なことは、立っている地面そのものが揺れ動き崩壊するとき、その状態の中で自分の立ち位置をしっかりと立て直すことは至難な業というよりもまず不可能なことであります。

 イエスの弟子たちは、まさにそのような状態に在りました。彼らはナザレのイエスを、神の子、メシア(キリスト)と信じて、全てを投げ打ち従って来ました。ところが彼らの敬愛し信従するイエスは、多くの人々の罵声と非難を浴びながら十字架につけられてしまったのです。その週のわずか数日前、エルサレムの人々は、熱狂して「ホサナ、ホサナ」と主を賛美して迎えましたが、反イエスのユダヤ議会とローマ権力の前に、そして民衆からも罪びととして排除されてしまったのです。

 しかし、一切の希望を失い、絶望のどん底に落とされた彼らに、墓から帰ってきたマリアたちが、主イエスの復活の知らせをもたらしました。死ですべてが閉じられ、黒い喪章でしか物語を終えるしかなかった彼らに、イエスの復活は、新しい希望と力を与えたのです。それは、彼らの中にあったレジリエンスでもなければ、楽観主義的な妄想でもありません。それは人知を超えた神の働きがもたらした行為なのです。イエスの父なる神は、ご自身が持ちたもう命の充満の中に、神の子イエスを悪魔と死から奪い返し、新しい復活の命を創造されたのでした。

 すべての望みが断たれたときでも、わたしたちの外(上)から生きる命と力が与えられるのです。わたしたちのうちにある力には、限度があります。一時、万能薬のようにいわれたオブジーボですが、ある症例では効果が見られなかったという報告が出て来たといいます。患者である人間の方ではなく、病巣の方が耐性をつけてしまったのです。医学者たちの目下の研究は、この無意味な繰り返しに如何に終止符を付けるのかに向けられています。病に苦しむ病人の期待を背負った戦いでもあります。

 使徒パウロは、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない」といった後にこう書きました。

「わたしは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために」(同、4章10節) イエス・キリストの力と聖霊の働きよって、勇気をいただいて生きるのです。

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