7月のメッセージ「心のゴミを捨てるには」   

2017年7月8日

南房教会  原田 史郎

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい」

(フィリピの信徒への手紙4章6節a)

 

 毎週、新聞で愛読している「新・心のサプリ」という海原純子氏のコラムがあります。そこに最近、都議選で都民ファーストに地滑り的な圧勝を与えた原因の一つになった、自民党衆議院議員のT・Y女史の暴言と暴力とが取り上げられていました(毎日新聞7月2日朝刊)。この文章を書いている時点でも、テレビのニュースでは、T・Y女史の次々に聞くに堪えない暴言と罵声の録音が新しく流されて来ます。聞けばこの人は、東大、ハーバードを出た才媛で、厚労省の管理職も務めたというエリートです。海原さんは「ただひどいというだけでなく、ここまで絶叫して暴行する心理の背景について考える必要があるように思った」といいます。それは「心の中に『おもしろくないこと』があるためであることは明白」であり、それでも多くの人は「怒りやストレスという心のゴミを無害化して、更に有効利用していくのである」というのです。わたしは、この「心のゴミ」という言葉に興味を引かれました。診療内科の世界では、こういう言葉が使われているのかも知れませんが、人間の心にある怒り、不機嫌、悪感情といったどろどろしたものをいかにコントロールして昇化させるかは、わたしたちが生きて行くときに大切なことです。折しもテニスのウインブルドン選手権第5日で、錦織圭選手は、スペインのR・バウティスタ選手と対戦して敗北し、4強入りはなりませんでした。この中継を見ていて気になったことは、ファウルを取られて点差がつくと、錦織選手は怒りがこみ上げてくるのでしょうか、ラケットをグラウンドに叩きつけるシーンが何度かありました。彼を応援するファンもいる中でのことで、ルール違反ではありませんが、王者のする振舞いではないという気がしました。テニスには相撲や柔道のような「礼」はないのかもしれませんが、心の平静を保てないところで、負けてしまったのだと残念に思いました。

 5日付の新聞広告に「和田春樹の本・売れています。発売たちまち増刷」という見出しで、感情的にならない指南本が三冊紹介されていました。ストレスの多い現代社会で、今、こういう本が売れているのだと思いながら頁をめくると「心のゴミはため込まないうちに掃除しよう」という章がありました(『「感情の整理が上手い人、下手な人』新講社」。ゴミをため込むと体に出たり、偏屈な人間になると警告していて、専門の心の掃除人、カウンセラーなどを利用することを勧めています。「でもまず大事なのは、自分自身の感情をフレッシュに保つことです」と和田氏はいいます。

 聖書は「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい」の次に「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさ」と勧めます。「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう(フィリピの信徒への手紙4章6b~7節)」ここにゴミを取り去る確かな約束があるのです。

もどる