8月のメッセージ「思い込みと想定外」

2017年8月6日

南房教会  原田 史郎

 

「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(ともしび)」   

(詩編119篇105節) 

 暑い8月に入ると、昭和生まれのわたしは、海とか夏山登山よりもまず昭和20年(1945年)8月15日の敗戦の日を思い出します。山形県の村に祖父と縁故疎開していましたが、呼び出しがかかり、登校すると、すでに校庭に先生と生徒たちが集まっていて、いつも校長先生が朝礼の話をする台のうえにラジオが一機、ポツンと置かれていました。

やがて放送が始まりますが、独特のあの抑揚のある謡曲を謡っているような昭和天皇の声が流されました。「耐えがたきを忍び」など、ところどころは耳に入りますが、よく分からないままに、放送は終わりました。どうやら戦争が終わったようだ、という大人たちの声の中で、解散になりました。この日の抜けるような青空と、耳をつんざくような蝉の鳴く声のなかで、あの1937年の支那事変から始まった太平洋戦争、6年に及ぶいわゆる大東亜戦争は、わたしの中であっけなく終わりを告げました。

 なぜ日本はあのような無謀な戦争に突き進んでいったのか、という大きなテーマがあるのですが、そこには思い込みと想定外があったことが分かって来ました。日本は南部仏印進駐で、米国が石油を止めるとは想定していなかかったのに対して、米国も禁油によって真珠湾が突然奇襲をうけることなど考えてはいなかったようです。最も真の戦争の原因は、このような部分的なものではなく、日本が明治以来、近代化と共に進めて来た帝国主義政策や議会の空洞化などの帰結にあるのですが、それでも時局として、戦争を回避する努力はなされていた訳で、発端は、両国の相手国に対するレッドラインの見誤りでありました。

 第2次世界大戦のとき、ヒトラーのドイツ軍がスターリングラードに侵攻しましたが、

ソ連軍は巧妙な退却作戦とウクライナ地方からウラル山脈の東側の工場で武器弾薬の増産に努め、また米国からの膨大な武器援助を得て、反撃に備えていました。しかし増強されるソ連軍の情報を伝えるハルダー参謀総長の報告を、ヒトラーは「ソ連軍の謀略」だとして斥け、ついにハルダーを解任してしまいました。結果としてドイツ軍は壊滅的な敗北を喫し、この戦闘で友好国軍を含めて約20万人が戦死したといわれます。独裁者の思い込みと驕りが惹き起した事例の一つです。

 わたしたちは権力を持ったり、力をつけて勢いを持ったりすると知らない間に自分の判断を正当化し、自分に都合の悪いことは起こらないと誤解する傾向を持っているのではないでしょうか。マッカーサーも朝鮮戦争のとき、中国が北朝鮮に義勇軍を送ることを想定していなかったといわれます。そういう情報をGHQ参謀部がマッカーサーの考えを忖度して伝えなかったそうで、思い込みの中に想定外の戦局に急変したのでした。

 6月30日、東京電力福島第1原発事故の業務上過失致死罪に問われた東京電力の旧経営陣に対する東京地裁の強制起訴裁判の初公判が持たれました。争点になったのは、原発事故は予見出来たのか、そうでないのかです。当然のことながら、起訴した側は「予見出来たと」し、弁護側は「予見は不可能だった」と反論しました。第2回目の公判の日程は未定ですが、被災者の「本当に事故は防げなかったのか」との疑念は晴れないままです。

ここにも、地震、15.7メートルの津波、非常用電源の喪失など、経営者側にそのような試算がしてあっても、実際にはあり得ない、あってほしくない、ないだろう、という思い込みと想定外があり、実際にそのための措置が取られていなかったことが分かります。

 折から北朝鮮の核装備とミサイルのことが連日のように報道されています。7月4日米国が大陸間弾道ミサイル(ICBM)であると正式に認め、その後、日韓米による対北朝鮮への圧力強化がなされています。この状況下で、最近ある評論が目にとまりました。それは「選択」7月号に掲載された「日本は米国の『裏切り』に備えよー欧州・アジアから引き始めたトランプ」という特別レポートです。内容はともかく、「日本にも多様な選択肢が必要」と提言していることです。とかく安保体制があれば大丈夫と、対米追従の思い込みと想定内で、東アジア情勢を見ていると間違えるということです。

 昔からある聖書についての格言の一つに「聖書は自分を映す鏡である」というものがあります。聖書は、わたしたちの真実の姿を伝え映します。それはわたしたちが罪人であることの人間の自己過信と思い上がりを示し、しかしキリストによって罪を赦され、潔められ、過去を離れて新しい未来と展望に生きることを映し出してくれるからです。

わたしたちが人間である以上思い込みと想定外をなくすことは出来ないでしょう。それだけに、神に言葉である聖書にいつも聞き、その光に照らされて歩むことが大切なことだと思います。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(ともしび)」

敗戦記念日を迎えるにあったって、改めて思い込みと想定外から始まったあの戦争の悲惨さを繰り返してはならないと思います。

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