12月のメッセージ 「救いを俟つ」

2017年12月10日

南房教会牧師  原田 史郎

 

「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」 

(ルカによる福音書1章79節)

 

 12月に入り、改めて一年の時の早さに驚きます。今年の教会の暦では、12月3日、(日)から「待降節」で、「アドベント」とも呼ばれている期節に入りました。4回の日曜日を経て、24日(日)の「クリスマス・イブ」を過ごして、明けた25日(月)がキリスト降誕の「クリスマス(キリスト降誕日)」です。でも、教会の主日礼拝は、日曜日毎ですので、今年は、アドベント第4主日の1224日(日)にクリスマス礼拝を守る教会が多いでしょう。この教会暦を厳密に守る教派の教会もありますが、プロテスタントの日本キリスト教団では、柔軟に対応しています。因みに、1231日(日)は大晦日(おおみそか)になりますが、一年の感謝と「降誕節第1主日」として礼拝を捧げます。

 アドベントは、「待つ」という意味があります。救い主キリストの降誕を待ち、それは、わたしたちが救いを待つということでもあります。「待つ」というと、なにか消極的に思われますが、待つためには、忍耐とその時のための備えがいるなど、積極的なことなのです。

「待つ」ことで、キリストが話されたたとえ話しがあります。 ユダヤの婚宴は、夜に行われますが、その際、十人のおとめがともし火をもって花婿の到着を待っていました。このともし火は小さな松明のようなものです。ところが、花婿の到着が遅れたため、彼女たちは眠りこんでしまいました。真夜中に花婿が到着し、彼女たちはともし火を整えますが、五人の愚かなおとめは予備の油をもっていなかったために、油を買いに行かなければなりませんでした。油を調達して戻ってきたとき、すでに戸は閉じられていました。(マタイによる福音書25章1~13節) 

 このたとえでは、おとめたちが眠り込んだことは責められていません。大切なことは、花婿の到来に備えて、油の用意があるかどうかです。賢い五人のおとめは、油を備えていました。主の到来に備えないで、魂に関心を払うこともしないで、霊的な生活に緊張を失い、気ままな歩みを続けることへの警告がなされているのです。わたしたちは、救いの時が近づいて来るのを覚えつつ、主の約束を信じてこのシーズンを歩みたいものです。

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