5月のメッセージ「新しい神の民」

2018年5月6日

 南房教会牧師  梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いて来る様な音が、天から聞え、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分れに現れ、一人一人の上に止まった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した。」

使徒言行録21-4

 

教会暦によりますと、今年のペンテコステ主日は5月20日になりますが世々の教会はクリスマスとイースターと共この日を大事に守ってまいりました。復活された主イエスが弟子たちに言われたお言葉、「エルサレムを離れないで御父の約束されたものを待ちなさい」と言うご約束のゆえに弟子たちはついに皆一つになって心を合わせて熱心に祈っていた、と聖書は伝えています。このようにお祈りを合わせていた弟子たちの上についに約束された聖霊が降り注がれた時、この地上において教会はうぶごえをあげて誕生しました。聖霊が五旬祭の日に集まっていた120人程の一人ひとりの上に注がれて聖霊に満たされた人々は、聖霊の語らせるままに他の国々の言葉で、語り始めました。それは、シナイ山で神からモ-セを通して授けられた十戒によるものではなくて、聖霊によって新しいイスラエル、新しい神の民が生まれる瞬間でした。 

主イエスを見捨てて裏切った臆病でわがままなガリラヤの者たちが聖霊を吹き込まれて全く新しく作り替えられる、瞬間でした。それは、主イエスによる過越祭を目の当たりして、聖霊が注がれて新しい民となった群れが主イエスのお体なる教会としてこの地上に現れるそういう瞬間でした。

昔イスラエルの民は、神が自分たちをエジプトから導い出して下さった出来事を覚える過越祭から、7週間後に行なわれる「五旬祭」という祭りを守り続けて来ました。ユダヤ教では「七週の祭」とも呼ばれておりますし、それをギリシャ語で50を意味する「ペンテコステ」と呼ばれるようになりました。過越祭がエジプトから解き放たれたこと覚える祭りであるに対して五旬祭つまり、七週の祭はイスラエルの民がシナイ荒れ野に到着して神からモ-セを通して戒めを授けられて神と契約を交して真に神の民となったことを祝う祭りになった訳であります。イスラエル民にとってこの五旬祭は、単なる収穫を祝う祭りに止まる事なくて神と契約によって自分たちの存在そのものが契約の共同体となったことを覚えるそう言うような祭りになりました。だから五旬祭の時には周辺の国々に散らばっていた人々がエルサレムの方に集まって来ました。

私たちは「聖霊に満たされることによって」新しく作り替えられた弟子たちの姿が一体どのようなものなのか、と言うことを使徒言行録21-4節の御言葉の証言を通して、五旬祭の日に起きた出来事のことを繰り返して聞きます。その出来事は、そこに居合わせていた人々に衝撃を与えるそう言うようなものでした。それは、聖霊が天から降り注がれる、不思議で衝撃的な光景が描かれている箇所何ですけれどもしかし、私たちはこの箇所を読む度に、聖霊をまるで文字通り激しい風や炎のようなイメージ或は「天から注がれる神の力」のような何か漠然としたものにしているのではないか、そう言う気がいたします。

しかし聖霊が、果してそう言うもの何でしょうか。もし、私たちに風や炎のような何か神秘的な力の経験がなくても、ただ聖霊の御助けを求めつつ、主イエス・キリストを救い主として告白し、信じて、救いを受けて、主イエス・キリストを証ししているのなら、もう十分に聖霊を受けているのではないでしょうか。私たちは、聖霊の御導きによって新しい神の民として生きることを許されている御恵みに感謝しつつ、折を得ても得なくても「主イエスの良いお知らせ」、「神の偉大な業」を宣べ伝える、そう言う群れであり続けたいと願います。

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