7月のメッセージ「聖霊による新生」

2018年7月1日

南房教会牧師  梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ヨハネによる福音書3章1-8節

教会暦によれば代々の教会は、聖霊降臨日‐ペンテコステ‐から10月中旬まで23週間、聖霊降臨節として守り、この期間中にはヨハネによる福音書の「イエスとニコデモ」の箇所は、よく朗読されるものである。当時、ユダヤ人の社会では恵まれた身分のニコデモと言うユダヤ人たちの議員が、主イエスのもとにそれも昼ではなく夜の時、問いをかけるためにひそかに尋ねて来たのである。

ニコデモは主イエスに「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことは出来ないからです。」(2節b)と、言った。しかし、主イエスのお答えは意外なものであった。「はっきり言っておく。人は新たに生れなければ神の国を見ることは出来ない。」(3節)人間の心の中に何があるかを良く知っておられる主イエスは、既にニコデモの心の中を見抜かれてそのようにお答えになったのである。

どうやって人が、また生れるのだろうかと、不思議に思い、行き詰まっていたニコデモに主イエスは、「はっきり言っておく。誰でも水と聖霊とによって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。」(5節)とお答えになった。誰でも自分の罪を悔い改めて洗礼を受けて聖霊によって新しく生まれることが出来るのだと、主イエスは言われたのである。

私どもの南房教会は、主日礼拝や家庭集会また聖書の学びと祈りの会において父なる神が御子イエス・キリストを通して開いてくださった一筋の道、その道を求めておられる求道者のことを覚えて、執り成しの祈りを捧げ続けているが、その全ては主イエスのこの御言葉に尽きると思うのである。

主イエスはもっと具体的にお仰せになる。「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」(6節)聖霊なる神のみ、霊的な命をお与えになり、私たちの内に宿ることによって新しく生まれた人間の霊を授けられるようになる。それは人間の努力や善い行ないによるものではなく聖霊のお働きのみによるものである。主イエスの一言「あなたがたは新たに生まれねばならない。」これは代々の教会の歴史において絶えずに宣べ伝えられて来た御言葉であり、そのお声は数多くの人々の心に語られたものである。

主イエスはもう一度言われる。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いてもそれがどこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆その通りである。」(8節)主イエスは、聖霊によって新しく生まれた者の内に、聖霊がどのようにお働きになるのかを、風のお話しに例えられた。

父なる神は、聖霊を通して風のように誰にもこの命の種‐御子イエス・キリストの福音、良い知らせ‐が人々の内に蒔かれて、植えられて、そして育てられることを願っておられる。私どもの南房教会は、自分の心の中に思い出して、浮んで来るお一人一人のことを覚えて、聖霊の御助けを求めつつ、執り成しの祈りを捧げ続ける群れでありたいと願うのである。

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