1月のメッセージ「褒め歌えよ」

2019年1月6日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

エフェソの信徒への手紙1章3~14節

使徒パウロはローマの牢屋の中でエフェソ敎会宛てに神を褒め称える讃美から始まる手紙を綴った。父なる神は御子イエス・キリストにおいて天のあらゆる霊的な祝福、即ち朽ちて消えてしまう世のものではなくて、永遠なる天の真の祝福をお与えになったからである。その祝福は先ず「神のお選びの祝福」(4節)のことで父なる神のお選びは何か私たち人間の知惠や努力の積み重ね、或いは正しさのためではなくて、ただ御憐れみによって私たちを愛して下さって天地創造の前からお立てになったご計画によるものである。

もう一つの祝福は、御子イエス・キリストの十字架の血による「贖いの祝福」(7節)である。その贖いは身代金を払って物や奴隷を取り返すことであるが、罪の奴隷になっていて死ぬべく私たちを救われるために父なる神は御子イエス・キリストの十字架の血潮を身代金として払って下さったのである。御子イエス・キリストは十字架の上でご自分自身を身代金としてお捧げになり、「私は成し遂げられた」と、叫ばれたのである。

父なる神の次の祝福は、「聖霊の保証による相続者の祝福」(11節)である。神は御国を受け継ぐ祝福、それも聖霊によって保証されたものを私たちにお与えになったのである。父なる神は天地創造の前から私たちをお選びになって、時が満ちて御子イエス・キリストをお遣わしになり、十字架の血潮によって私たちの罪を贖って下さったのである。父なる神は聖霊によって私たちが御国を受け継ぐ相続者となることを絶えずに保証してくださるゆえに私たちは、父なる神を「アッバ、父よ」と呼ぶことを許されるのである。

それは私たちを暗闇の中から御子イエス・キリストを通してまことの光の中へと招き入れて下さった父なる神ご自身の力ある御業ではないだろうか。私たちはその御業をこの世に向かってあまねく告げ知らせつつ、証しなければならないと思うのである。私たちの信仰は待降節(アドベント)、クリスマス、受難節、イースター、ペンテコステといった一年がかりで主イエス・キリストと共に歩んで行くことだと、言われるが、2019年、この新しく備えられた一年を私たちは、父なる神の大いなる祝福のゆえに、御栄えを誉め歌えつつ、御子イエス・キリストの中に開かれた父なる神まで一筋に続いている道を一年がかりで聖霊の御助けに依り頼って歩み続けたいと切に願うのである。

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