3月のメッセージ「憐れみの器」

 南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ローマの信徒への手紙9章18~24節

 使徒パウロは、貧しいエルサレム教会のために献金を携えてエルサレムに帰る途中、コリントの地でこの手紙を書いた。パウロは、人々の心の奥底に潜んでいる疑問について語っている。「神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」(18節)お方でおられる。それなのに、何故ご自身がかたくなにしたいと思われてかたくな者となってしまった者を、責められるのか。

 しかし、使徒パウロは神のお選びは常に御自身の主権的なものであることを証している。神は常に、その怒りをお示しになり、その力を知らせようとしておられ、御自分の豊かな栄光をお示しになられる。焼き物師でおられる神は、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれ、ご自分の豊かな栄光をお示しになるために私たちを「憐れみの器」としてお選びになられた。

救いにあずかる何の値打ちもない私たちに、ただ御憐れみによって与えられた贈り物だから高ぶることも、おごる根拠を持っていない。御子イエスを通してご自分の御もとへ一筋の道を開いてくださった父なる神の御憐れみのゆえに、私たちは謙って感謝をささげなければならない。2018年度一年間を顧み、新しい年度を迎えるこの時、私たちのような者をも憐れんでくださる神の御名を褒めたたえる者でありたいと願うのである。

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