5月のメッセージ「ご復活の力と実」

2019年5月5日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ヨハネによる福音書第2019-29

 主イエスが復活された「週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけて息を殺して隠れていた」(19節)。しかし、復活された主イエスは閉じられた扉を越えて弟子たちの真ん中にお立ちになられ、ただ喜ぶだけではなくて復活されたご自身を人々に伝える証人になりなさいと、重ねて平和のご挨拶を言われた(21節)。しかし、復活された主イエスに出会うその場にいなかったトマスはもう何も信じなくなり、ただ自分の目と手で復活された主イエスを探し見つけようとしていた。

ところが、トマスは復活された主イエスの確かさに触れて、ひれ伏して「私の主、私の神よ」(28節)と、自ら真の信仰を告白した。トマスの信仰告白をお聞きになった主イエスは、こう言われた。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」(29節)。それはトマスを責めるようなものではなくて、むしろ恵みに満ち溢れる祝福のものであった。何故ならば、「見ないのに信じる人は幸いである」と、言われる主イエスの祝福のお言葉によってのみ、私たちも信仰の目が開かれて復活された主イエスに出会うことが許され、ご復活の力とその実にあずからせていただくようになるからである。

それゆえ、私たちは聖餐式において「キリストの復活の力を知り、その苦しみにあずかり、おりを得ても得なくても御言葉を宣べ伝えることができますように」と、感謝の祈りを捧げ続けているのである。主イエスのお体なる教会、そしておびただしい十字架とご復活の証人と、信仰の先人たちこそ、主イエスのご復活の力であり、ご復活がもたらした豊かな実ではないだろうか。私たちは主イエスが再び来られる栄光に輝くその日を待ち望みつつ、主のご復活の力とその実にあずからせていただき、キリストの十字架とご復活の証人として御言葉を宣べ続けたいと願うのである。

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