5月のメッセージ「湖畔で朝食を」

 

2020年5月3日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ヨハネによる福音書21章1~14節

復活された主は、夜通しで苦労している弟子たちに「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と言われた(6節)。その夜は、魚一匹も取れなく、漁に完全に失敗した忘れられない夜であった。失敗の道は、人間をとるキリストの漁師たちが歩まねばならないものである。しかし、主が共におられる時、その失敗は、回復され、主は取り戻してくださる(ヨハネ15:5)。弟子たちは、その見知らぬ人が高い岸の上で群がって来る魚の群れを見つけて自分たちにお知らせしているのだと思い、その人の言われるまま網を降ろした。

すると、網を引き上げることができないほど夥しい魚が獲れた。ついに主の愛しておられたヨハネがペトロに「主だ」と叫んだ途端、ペトロは、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ(7節)。弟子たちが陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった(9節)。主は 「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた(10節)。そこでペトロがすぐ船に乗り込んで網を陸に引き上げてみると、153匹もの大きな魚でいっぱいであった(11節)。

この出来事に由来して魚はイエス・キリストのシンボルとなった。「イエス・キリスト、神の子、救い主」の頭文字「イクトウス」は魚を意味するからである。復活された主イエスは変わらない親しいお声で「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた(12節)。しかし、彼らはその人が主であることを知りながらも、恐れと不思議な思いに包まれて誰も主に近づいて問いただそうとは、しなかった。そこで主は、近づいて、「パンと魚を取って弟子たちに与えられた」(13節)。

1961年上映されたハリウッドの映画「テイファ二で朝食を」のワンシーンを思い起こす。ニュ-ヨ-ク・マンハッタンにある宝石店の前に、主人公のオドリヘッパンが真珠のネックレス、黒い洋服、ベルベットの手袋の姿でダックシから降りる。見かけは貴婦人のように見えるが、彼女は男からもらった贈り物を処分して生計を立てていた。クロワッサンとコーヒを手にして彼女は、ショウィンドのダイアモンドを憧れの目で見つめながら朝食を取っている。彼女は寂しくて、心が沈む時、タクシーに乗ってテイファ二に来る。テイファ二は、彼女にとって決して悪いことは起こらない所、憩いの場所であったからである。

今日においても多くの人々は、それぞれの回復と憩いの場所を探し求めている。そこに一時の回復や憩いがあるかも知れない。ところが、失敗や挫折、また困難と苦しみから、人々を取り戻して、回復してくれる場所はない。しかし、復活された主は、夜通しで苦労し、空腹の弟子たちを誘われたように私たちをも招いてくださり、取り戻して、回復してくださる。私たちは、御自ら近づいて「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と招いてくださる復活された主の声に励まされ、失敗と挫折、そしてこの未曽有の患難の時を乗り越えたいと切に願う。

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