10月のメッセージ「和解の務め

 

2020104

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

コリントの信徒への手紙二5章17~20節

 311東日本大震災以来、人々は皆、様々な自然災害の中、互いに助け合う心の大事さを実感しはじめ、絆という言葉が良く言われるようになった。しかし、聖書が証している絆は、「聖霊のお働き」と結びついている。何故ならば、聖霊は、「教会においてキリストとわたしたちを一つに結ぶ絆」のお働きであるからである。

使徒パウロは、自分の使徒としての資格を疑っていたコリント教会の人々にこの手紙を通して自分は、異邦人伝道の使徒として、しかも「和解の福音」を宣べ伝えるために遣わされたと、解き明かした。そして、神と和解させていただいた者は、「キリストと結ばれ、新しく創造された者」であるがゆえに、「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じる」と証した(17節)。

人を偏ってご覧にならない神は、面食いのように顔の善し悪しではかることはなさらない。偏っていない主の十字架の救いの前に、偏見のような古いものは、過ぎ去り、限りないみ力にあずかるゆえに、わたしたちにへりくだって悔い改める新しいものが生じるのである。

尚、使徒パウロは、「キリストと結ばれた者は、聖霊のお働きの絆によって神と和解させていただいた者で、その和解の出発点は、神ご自身から出ることである」と証した(18節)。父なる神は、御子イエス・キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、その和解のために「奉仕する務め」をもお授けになられた(18節)。

神と和解させていただいたわたしたちに、神より授けられた「和解の務め」は、神に背き、神から遠く離れている人々に、「神と和解させていただきなさい」(20節)と宣べ伝えることではないだろうか。わたしたちは、キリストの十字架の血潮によって神と和解させていただいた者として古いものを捨てて、新しく生じるみ力にあずかり、「神と和解させていただきなさい」と宣べ伝え続ける者でありたいと願う。

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