11月のメッセージ「和解の福音

 

202011月1日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

コリントの信徒への手紙二6章1~10節

使徒パウロは、異邦人のために神より召された者として誇りをもって伝道に励んでいた。ところが、主イエスの復活の証人として遣わされ、コリント教会を造り上げたパウロの耳に聞えて来たのは、使徒としての彼の権威や資格を疑うような声であった。そのような状況の中で、彼はコリント教会の人々への手紙を通して自分は、「和解の福音」を伝えるために主イエスより遣わされたことを綴り、自分の務めを明確にした。

「和解」という言葉は、お互いの敵意を譲り合い、争いを止めることを約束する法廷用語である。しかし、パウロにとって「和解」は、人間の罪のゆえに神との間に生じた深い溝を埋めるための神ご自身の一方的な業である。それは、債務者を取り立てる債権者のように罪の責任を人間に問わない神の一方的な恵みである。父なる神は、御子イエス・キリストの十字架によって我々をご自分と和解させられた。それゆえパウロは、コリント教会の人々をただ責めることなく、神からいただいたその恵みを無駄にしてはいけないと、綴った(1節)。

パウロは、主にある勧めと共に「あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています」と、自ら推薦書を綴った(4節)。それは、神の力に依り頼りつつ、忍耐を持って乗り越えた様々な苦難においても全てのものを所有し、キリストの義によって捺印されたパウロ自身の推薦書であった。我々は、神と和解させていただいた者としてあらゆる苦難においても父なる神の力と御子イエス・キリストの義に依り頼りつつ、折を得ても得なくても「和解の福音」を宣べ伝える者であり続けたいと願う。

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