6月のメッセージ「恵みと慈しみの種」

20216月6日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

コリントの信徒への手紙二9章1~15節

 使徒パウロは、コリント教会宛にこの手紙を書く一年前からエルサレム教会の信徒のために献金を募り始めた。パウロは、種を蒔く例えを用いてこの励ましの手紙を綴っている。「惜しんで僅かしか種を蒔かない者は、刈り入れも僅かで、惜しまず豊かに蒔く人は刈り入れも豊かなのです」(6節)。貧しいしい人々への施しや奉仕の業は結局、神への信頼の表われである。つまり、御子をさえ惜しまずに十字架の死に渡してくださった神の恵みに悟る者だけが神に信頼を寄せることが出来るとパウロは証している。

 そしてパウロは、神から豊かな祝福を頂くためには、人々に自分の持っているものを蒔かなければならないと証した。「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなた方に種を与えて、それを増やし、あなた方の慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます」と(10節)。神から頂いた「種」、それは父なる神が御子イエスをお遣わしになり、十字架を通してわたしたち罪人をお赦し、新しく生きる道を開いて下さった「恵みと慈しみの種」に他ならない。

神の慈しみと恵みを悟る者は、福音を素直に告白し、周りの人々にも喜びをもってそれを施し、奉仕の業に励むようになる。その施しや奉仕の業にあずかる者も、その業を通して神に感謝と賛美と祈りをもって礼拝を捧げるようになる。パウロは貧しいエルサレム教会の信徒のため捧げられる献金と奉仕の業によって真の礼拝の恵みと「言葉に言い尽くせない贈りもの」に感謝を捧げている。わたしたちは、神より頂いた「恵みと慈しみの種」を周りの人々のために喜びをもって施しつつ、神に喜ばれる礼拝を捧げ続けたいと願う。

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