9月のメッセージ「神の国の宴会に招かれる者」

2021年9月5日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

ルカによる福音書14章15~24節

ある安息の日、イエスは食事のためにファリサイ派の議員の家に入り、水腫を患っていた人を癒された。その後、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を宴会に招く人たちは、復活する時、報われると言われた。その時、客の一人がイエスのお話しを聞いて「神の国で食事をする人は、なんと幸なことでしょう」言った(15節)。その人は、神の国の宴会の席は当然、自分たちのものだと思い込み、信じていた。しかしイエスは、盛大な宴会の催しの例えを用いられ、お答えになった。それは、ファリサイ派人々の予想を容赦なく破るものであった。何故なら、家の主人が僕を送って招いた人々は皆、貧しい人、体の不自由な人、目の不自由な者、足の不自由な者ばかりであったからである。

やがて僕が帰って来て、「御主人様、仰せの通りに致しましたが、まだ席があります。」と告げた(22節)。そこで主人は、再度「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と命じた(23節)。それは、ユダヤ人町の広場や路地ではなく、町の外の所の通りや小道にある異邦人でも「無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と言う命令であった。それは、力を動員して何とか無理やりにさせることではなくて、「人から招かれるのが慣れてない相手から拒まれないように説得しなさい」と言う強い意志と愛が込められた父なる神の厳しい命令と同時に確かな慰めのご約束である。

最後にイエスは、ご自分を家の主人に例えて、「言って置くが、あの招かれた人たちの中で私の食事を味わう者は一人もいない。」と言われた(24節)。父なる神は、モ-セと預言者を通して、そしてご自分のお独り子、イエス・キリストを通してイスラエルの民をお招きになった。しかし、彼らは御子イエス・キリストを拒み、ついに、神を侮辱してしまった。それゆえ、彼らは神の宴会に招かれる機会を完全に失われた。父なる神は、苦しみの中にいる人々にご自分の独り子をお遣わしになり、既に御国の宴会が用意されたと言われた。わたしたちは、「この家を一いっぱいにしてくれ」と言われる父なる神のご約束に励まされ、この世に向けて「もう用意が出来ましたから、おいで下さい」と言われる御子イエスのお招きの言葉を宣べ伝え続けたいと願う。

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