7月のメッセージ「祈りの座」

202273

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

サムエル記上1章1~11節

エフライムの山地、ラマタイム・ツォフィムにエルカナという男がいた。エルカナには、二人の妻があって一人はハンナ、もう一人はペニナであった。エルカナは、妻ハンナを愛していたが、しかし、ハンナには、主が子供をお授けにならなかった。一方、ペニナには、子供があったが、ハンナには、子供に恵まれていないことで彼女を思い悩ませ、無視し、苦しめた。每年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。その度にハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。その様子を見ていた夫エルカナは、妻ハンナに、「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。なぜふさぎ込んでいるのか。このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか」と慰めた(サムエル上1:8)。そこでハンナは、シロでいけにえの食事を終え、立ち上がって神殿の席に着き、悩み 嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、「もし男の子をお授けくださるなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てない」と誓いを立てて祈った(9~11節)。

ハンナは、自分の問題は、夫の慰めによって解決されるのではなく、神によってのみ、解決されると、信じていたからそのように祈ったのである。ハンナは、人間の力では、到底解決できない問題の前に、祈りの座に進み出て、心を尽くして嘆いて祈り、激しく泣いた。神の御前で全てのものを降ろし、自分の心の奥底まで隠さず、打ち明け、切実に捧げられたハンナの祈りは、神に聞き入れられ、サムエルを授けられた。我々の世の旅路においてもハンナのように誰にも言えないほどの深い悩みに陥ってしまう時が訪れ、その悩みを最も近い身内にも打ち明けできず、心苦しくなる瞬間にも遭うと思われる。しかし、慈愛なる神は、祈りの座に進み出て、御前に打ち明ける我々の祈りに人知を遥かに超える御手をもってお答えになり、最も善い業を成し遂げてくださる。わたしたちは、神の御手に依り頼りつつ、自分の家庭と家族のために大胆に祈りの座に進み出て、心を尽くして祈り続けたいと願う。

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