8月のメッセージ「苦難の日、喜びの日」

2022年8月7日

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

詩編50篇15節      ヤコブの手紙5章13節

私どもの南房教会は、「信仰生活とコロナ」を主題にし、アンケート「コロナ禍を歩んで」を募り、先月17日の主日礼拝後、3年ぶりに対面式の「一日教会修養会」を再会するようになった。この二年半の間、わたしたちは、次第に自分は、如何に弱い存在なのか、また、自分の力のみに依り頼っては、生きられないことを改めて気づくようになったと思われる。ところが、使徒パウロは、わたしたちが弱い時にこそ、主イエスの御力が実に現われると、証し(コリントⅡ12:10)、自分の霊的な息子、テモテにむしろ、「キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい」、と諭した(テモテⅡ2:3)。真心をもって主イエス・キリストに従う者に「喜びの日」と共に「苦難の日」は、必ず訪れるからである。

その意味においてこの二年半年の間、私どもの信仰生活は、正に「苦難の日」を忍びながら、「喜びの日」を追い求め続ける日々であったと思われる。ところが、ヤコブの手紙の記者は、「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい」と勧めている(ヤコブ5:13)。詩編の記者も苦難に遭う者が祈らねばならいその理由を神ご自身の約束から見出し、「それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによってお前はわたしの栄光を輝かすであろう」、と御名を褒め称えている(詩編50:15)。詩編の記者は、「苦難の日」、神に信頼を寄せる唯一の道は、祈りと讃美に連なっていることを歌った。

使徒パウロとシラスも詩編の記者が歌ったように真夜中の苦しい牢屋の中でその唯一の道を証した(使徒16:25)。二人は永遠なる神に起源する無限の希望は、失われないことを確信していたからである。誰でも「喜びの日」には、自ずと讃美の歌を歌うかも知れないが、「苦難の日」を好んで楽しむ人は、いないと思われる。この地上の旅路においてたとえ、真夜中のような「苦難の日」が訪れてもわたしたちは、尽きせぬ望みの源でおられる主イエスに全てを委ね祈りつつ、讃美し続けたい。そして、わたしたちの祈りと讃美を通して、また弱さの中で主イエスのみ力とみ栄えが現われる「喜びの日」を迎えたいと願う。

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