10月のメッセージ「天にある永遠の住みか」

2022102

南房教会牧師 梁 在哲(ヤン ジェチョル)

 

詩編39編13節    コリントの信徒への手紙二4章16節~5章1節

「主よ、わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈默していないでください。わたしは御もとに身を寄せる者先祖と同じ宿り人(詩編39:13)」。

ダビデは、自分は主なる神と共に歩む旅人である、と告白している。彼は、この世に生きながら自分は、この地には属することの出来ない巡礼者である故に、人生の空しさをも告白し、主なる神のみに望みを託している。そして、深い悩み病に包まれた苦難の日々の中でも主なる神にへりくだってひれ伏し、回復される恵みを求めている。聖書がわたしたち、キリスト者につけてくださる様々なあだ名の中で最も体表的なものは、「旅人」或いは、「巡礼者」ではないだろうか。旅人や巡礼者は、その地に暫く泊まった後、すぐ次の旅に出るからである。いくら社会的に身分が高くて、富に恵まれても人間は、時が来ると、この地を離れて行くからである。

使徒パウロは、目に見えるものではなく、目に見えない、天にある永遠の住みかを父なる神は、備えてくださる、と証している。わたしたちの体は、地上の住みかである幕屋のようにいつかは、滅びるが、父なる神は、天にある永遠の住みかを備えてくださる。わたしたちの地上の住みかが滅びるその死の時、天にある永遠の住みかは、既に工事が始まり、主イエスが、再び来られるその時、わたしたちは、完成された永遠の住みかに主と共に入る。それゆえ、わたしたちは、落胆することもなく、外なる人が衰えていくとも、わたしたちの内なる人は、日々新しくされ天の国の永遠の住みかへの望みを抱きつつ、この地上の旅路を続けたいと願う。 

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