5月のメッセージ「神の子とされる証し」

2023年5月7日

南房教会牧師 梁 在哲

 

「申命記7章6~8節・ガラテヤの信徒への手紙4章3~7節」

イスラエルの民は、主なる神に選ばれた民として「律法の民」とも呼ばれた。しかし、彼らはシナイ山でモーセを通して主なる神の律法を授けられた以降、度重なる反抗、殊にカデシュ・バルネアでの反逆のゆえに、主なる神より、「20歳以上の者は、誰一人約束の地、カナンに入ることはない」と言われ、40年間シナイ半島を彷徨い続けた(民数記14:29~30)。

その後、120歳となったモーセは、ヨルダン川の東側にあるモアブ平野で出エジプトどころか、葦の海の奇跡も知らない若い世代に再び律法を説き明かした(申命記1:5)。それゆえ、申命記は律法の註解書とも呼ばれ、新約聖書において80回以上引用され、イスラエルをご自分の宝の民としてお選びになり、彼らに律法を授けられた主なる神の愛が全編を貫いている(申命記7:6~8)。

主なる神の愛のゆえに、イスラエルの民はエジプトの王、ファラオが支配する「奴隷の家」から救い出された。使徒パウロは、父なる神が御子イエスを通して世を支配する「諸霊の奴隷」からわたしたちを解き放ってくださり、「神の子」にされる恵みを証した。父なる神が「御子イエスの霊」をわたしたちの心に送ってくださり、父なる神を「アッバ父よ」、と呼ぶことが許され、相続人として立てられるからである(ガラテヤ4:3~7)。

わたしたちは、毎年この時期、弟子たちの上に聖霊が注がれ、この地上に主のお体なる教会が産声をあげ、立てられた大いなる喜びを覚え続ける。そして、父なる神が「御子イエスの霊」をわたしたち一人一人の心に送ってくださり、わたしたちも父なる神を「アッバ父よ」、と呼ぶことが許され、父なる神の相続人として立てられる大いなる恵みに感謝しつつ、新たな思いをもってペンテコステを迎えたいと願う。

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