7月のメッセージ「神の人の祈り」

2023年7月2日

南房教会牧師 梁 在哲

 

「詩編90篇10節」

「人生の年月は七十年程のものです.健やかな人が八十年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません. 瞬く間に時は過ぎ,わたしたちは飛び去ります」(詩編90:10)。

 

 詩編90篇は、神の人、「モーセの祈り」として、また詩編の中で最も古いものとして知られている。旧約聖書においてモーセをはじめ、サムエル、エリヤなどの預言者たちは、「神の人」と呼ばれ、尊ばれたが、彼らは主なる神と人間の間で仲介者として執り成し続けた。ところが、神の人、モーセによって導かれ、エジプトの国から解放されたイスラエルの民は、40年間、荒れ野を彷徨っていた。彼らはその罪と不信仰のゆえに、モーセをはじめ、年輩の殆どの人は、カナンに入ることが出来ず、荒れ野で死んだ。

 モーセ自身は、120歳まで長生きしたが、それは例外なことで、彼は人生の年月は、70年程のものであり、健やかな人でも80年を数えることが精一杯だと嘆いた。そして、7~80年間の人生の決算は、労苦と悲しみの連続であり、瞬く間に時は過ぎ、飛び去ると、告白している。人間の罪のゆえに、人生の年月は、そのように空しく飛び去り、労苦と災いに満ちた人生の道に置かれると見做したからである。ドイツの厭世主義哲学者ショーペンハウアーは、「人生は、いつも損失を被る商売のようなものだから生きていればいる程、労苦の総量は、楽の総量より大きくなるだけ」だと悲観した。

年を取れば取るほど、時間は早く過ぎ去り、例え、40代の頃には、時速40キロ、そして60代には、時速60キロ、また80代になると、時速80キロのように過ぎ去ると言われる。矢のような人生の年月の中で我々は一体、何ものに依り頼るべきだろうか。あまりにも早く過ぎ去る人生の年月の中、我々は、空しいものばかりを捨てずに、掴んでいるのではなかろうか。主なる神より与えられ、許されたそれぞれ掛け替えのない人生の年月を空しいものに費やすことなく、まことの神の人、主イエス・キリストに全ての時間をも委ねつつ、主の御名が褒め称えられるように送りたいと祈り、願う。

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