11月のメッセージ「信仰と人生の本質」

2023年11月5日

南房教会牧師 梁 在哲

 

詩編90篇6節      ヘブライ人への手紙11章1~3節

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する事です。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、 わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」 

-ヘブライ人への手紙11章1~3節-

私どもの南房教会は、毎年11月の最初の主日礼拝において先に天に召された教会員、教職、キリスト者を記念し、信仰の先達を通して始められた主なる神の御救いの善い業の恵みに感謝しつつ、召天者記念礼拝を捧げ続けている。また、礼拝後には、共に礼拝を守り、南房教会のために尽くされたお一人お一人、信仰の先達を覚え、偲ぶ時間をも設けている。

信仰の先達は、「信仰の本質」を聖書の御言葉を通してそれぞれの形で、追い求めて来たと思われる。彼らは、天地万物が目に見えない神の御言葉によって創造されたゆえに、目に見えない事実を、また信仰は将来への望みであることを、日頃確かめつつ、追い求めたと思われる。また、彼らは、「人生の本質」をも追い求めたと思われる。

「朝が来れば、花を咲かせ、やがて移ろい夕べには、しおれ、枯れて行きます」(詩編90:6)。その空しさは、仏教では「一切の物は、生滅、変化して常住でない無常」のようなものだと言われる。しかし詩編の記者は、我々人生の本質を「無常」ではなく、「矛盾」であることを明らかにしている。何故ならば、矛盾は、矛と盾のように「本来あるべきものがなくなっており、逆に本来合うべきではないものがあるようになっている」からである。

その意味において人間の死は、アダムとエバがエデンの園で犯した罪のために本来、矛盾ではない所にいて死ぬべきではない者が、そこから落ちてしまったゆえに、究極の矛盾ではなかろうか。我々は、主にある「人生と信仰の本質」を追い求めつつ、天に召された信仰の先達を偲び、それぞれ与えられた地上の使命を果たして参りたいと祈り、願う。

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