12月のメッセージ「見張りの足」

2023年12月3日

南房教会牧師 梁 在哲

 

イザヤ書52章1~10節  ローマの信徒への手紙10章13~15節

今年度の教会暦では、12月3日(日)から待降節・アドベントに入り、この日から年間の教会暦の初日となる。この待降節第1主日の12月3日(日)から12月24日(日)にいたるまで、約3週間は、キリストの降誕を待ち望みつつ、悔い改めの時として守られる。しかし、世間のカレンダ上の年末においてこの世界は、国々や民族の間で憎しみと報復の連鎖反応を引き起こし、我々の心にも暗くて大きな影を落としていると思われる。

預言者イザヤは、バビロンに連れ出された後、エルサレムへの帰還を諦め、心にも暗くて大きな影を落としていたイスラエルの民に向かって、「奮い立て、奮い立て、力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ」と、呼びかけた(イザヤ52:1)。それは、心だけを奮い立てることにとどまらず、「目を覚めよ、起き上がって、さあ、出発しよう」と促す声であった。預言者は、「主なる神は決して見捨てない」と信じるゆえに、厳しい現実と自分の呼びかけとの隔たりを乗り超え、そのように呼びかけたのではなかろうか。

しかし、イスラエルの民は、預言者の呼びかけに耳を傾けなかった。それにも拘わらず、イザヤは、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、惠みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は、王となられた、とシオンに向かって呼ばわる」と歌い続けた(イザヤ52:7)。それは、イスラエルの民がバビロンから解き放たれ、帰って来る良い知らせを携えて山々を行き巡り、エルサレムに向かって叫ぶ見張りの声であった。

主なる神の見張りは、来られる主イエス・キリストの御姿と福音を先取りにして告げている。耳を傾けて見張りの叫び声を聞き、目をあげてその姿と足を見ると、その音は、まさに「恵みの良い知らせ」、「福音」となり、その足は、極めて美しいこととなるからである。その意味において「見張りの足」は、良い知らせを携えて山々を行き巡り、駆けつけて来る誠実な姿であり、速やかに近づいて来る「福音」そのものに他ならない。

使徒パウロは、見張りの叫びは、キリストの福音によって完全に成就されたと、証した。「遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』」と書いてあるとおりです」(ローマ10:15)。イザヤは、主なる神の御業のかすかな兆しを見極め、諦めず告げ続け、まどろみの夜明け前に、「目覚めよ。奮い立てよ」と呼びかけた。そしてその福音を先取りにして荒れ野で叫び続けた洗礼者ヨハネ、また初代教会の使徒と伝道者たちのお告げは、いかに美しいことか。キリストのお体なる教会も、例え、この世から侮られても、それらの兆しを先取り、「惠みの良い知らせ」を伝え続けたいと祈り、願う。

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