祈りのすすめ

 200975日 礼拝説教    原田史郎牧師

マタイ福音書7712

 

  主イエスは、既に祈りについてお語りになっておられます。(65以下) そこでは、「祈るとき、あなたは偽善者のようであってはならない」と言われ、「隠れたところにおられるあなたの父に(真実の祈り)を祈りなさい」と教えられました。本当の祈り、真実の祈りについて語られ、続いて「主の祈り」を、教えてくださいました。

 これに続く7章の祈りは、「祈りつづけること」が主題です。「求めなさい。そうすれば与えられる」という、短いのですが、力強いすすめが語られます。

 何故祈り続けることが大切なのでしょうか。それは、わたしたちが、「だれに祈るのか」ということと深く結びついています。最近、24年の拉致から解放されて帰国された蓮池薫さんが、「祈るのをやめ、子どものために生きた」と話されているインタビューが新聞に載っていました。蓮池さんの祈りは、私たちが想像もできない位の痛切な渇望であったと思います。だが、いくら祈っても、事態は好転せず、絶望して祈りをやめてしまったそうです。

 では、蓮池さんは、だれの祈っておられたのでしょうか。実は、これが一番重要なことなのです。彼は、「森羅万象に祈っていた」と答えておられます。

 「求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい」とすすめられた主イエスは、わたしたちの祈るお方を「あなたの天の父」と言われました。そして、この天の父は「求める者に良いものをくださるにちがいない」お方であると説明されました。

 主イエスは、ここで二つのたとえを話されました。ひとつは、「パンを欲しがる自分の子どもに石を与えるだろうか」石のように硬いパンが、当時ありました。また、パンそっくりの石がありました。でもいくら似ているからといって、パンの代わりに石を与える父親はありません。

 また、「魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」そんな父親はいません。父親は、その子が真に必要であれば、万難を排しても、それを調達してくるでしょう。地上の父でさえそのようであれば、ましておや、独り子をくださった天の父は、わたしたちの真に必要としているものを、与えてくださらない筈はないのです。

 「求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい」とすすめられた主イエスのおことばに励まされて、祈り続けるものとなりましょう。

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