お言葉どおり、この身に成りますように

          2009年12月6日 説教 原田 史郎牧師 

             ルカによる福音書 1章26~38節

 

  イエス誕生物語は、み使いガブリエルが、ガリラヤの一女性マリアに現れたところから始まります。彼女は、ヨセフと婚約していましたが、ユダヤの社会では、婚約した女性は、法的には、「妻」と殆ど同じでした。

 「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる。」とみ使いは語ります。マリアは、この挨拶は何のことかと戸惑い、かつ考え込みました。戸惑いは、彼女の心にトラブルが起こり、激しい波風が起こったことでもありましょう。思いがあっちに行ったり、こっちに行ったり、同じところをグルグル、当てもなく彷徨し、迷い道に入ったのでした。

 しかし、み使いがマリアに告げたことは、彼女の人間的な恐れや思いを遥かに超える、衝撃的なものでした。あなたは男の子を生む、その子に「イエス」と名付けること。その子はいと高き方の子、そしてこのすべてに聖霊が臨むということです。

 戸惑いの中にあるマリアでしたが、そこから彼女を大きく飛躍させたのは、み使いの次の言葉でした。「神には出来ないことは何一つない」 ここでみ使いは、何でも出来る、とは言いませんでした。「出来ない」ことは「何一つない」というに二重否定(それは強い肯定)と語ったのでした。

 よく経験することですが、弱く罪びとであるわたしたちは、「そんなことは出来ません」「わたしには無理です」と、マリアがそうであったように「どうしてそそのようなことがあり得ましょうか」と神さまについ抗弁してしまうのです。その否定が否定されるとき、わたしの負に満ちた自分中心の思いが明け渡されるならば、その時、神さまの恵みに満ちた大いなる祝福のご計画が実現するのです。

 マリアは、言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」アドヴェントにあたって、わたしたちの祈りも、このマリアの告白と同じでありたいと願います。

 

前回 目次へ 次回